過剰な何か

70414
埼玉ピースミュージアム(埼玉県平和資料館) - 藤尾
2024/04/05 (Fri) 20:29:40
徴兵されて陸軍工兵二等兵となった。貨物船に乗せられ、海を南へ向かう途上で行く先を教えられた。フィリピンだという。これは、バナナやヤシの実が食い放題だな…と思ったが、とんでもない話だった。

陣地構築や橋を掛けたりして数か月すると、米軍が上陸してきた。艦砲射撃やら敵機の爆撃、機銃掃射に追われて、とにかくジャングルの奥へ逃げる。携行した食料はあっという間に尽きた。あとは現地調達だ、と言えば聞こえは良いが略奪だ。しかし、集落を見つけても住民は逃げ散っており、穀物類が多少あるぐらいで、多くの場合何も残っていなかった。残されていた水牛を、角を木に結わえ付け、立ったままの水牛の首をノコギリで切る。ブワッと流れる血をかぶりつくようにすする。塩分がうまかった。

水牛もなかなか見つからなくなると、あとは木の根やトカゲや虫を煮て食う。しかし、煙を上げると途端に敵の攻撃を受ける。どこからか砲弾が飛んでくる。敵機モスキートが機銃掃射を執拗に繰り返す。その度に地面に伏せる。機銃弾が木や葉を跳ね飛ばしながら通りすぎてゆく。隣に伏せていた者が血を噴き出して動かなくなる。揺り起こすと、背中に当たった銃弾の跡は小さいが、貫通して胸に抜けた銃創は大きく口を開けている。
うわっと思う暇もなく敵戦車のエンジン音が迫って来る。戦車は車載機銃を連射し、木を押し倒しながら近づいてくる。銃弾が耳をかすめる。とにかくジャングルの奥へ逃げるしかない。敵の方向へ無暗に小銃を数発打つのがやっとで、あとはとにかく走るだけだ。

米兵たちは遠足のように談笑し、ガヤガヤと大声でしゃべりながら徐々に近づいてくる。こっちは草陰に身を潜めているしかない…。米軍は戦車・飛行機・機関銃だ。こっちは元亀天正の頃の火縄銃とかわらないような装備の落ち武者状態、かなうわけがない。
部隊はジャングルの中で孤立し、次々と餓死・病死で倒れる者を残して、ひたすら逃げ続ける。(比島戦線全体では日本兵の3/4が死んだが、多くは餓死・病死だ)
ある日、米軍の告知により戦争は終わったのだと知った。

     ※

なんという体験…!
これは、私の父の実体験だ。これが1世代前、ついこの間、日本人が体験した世界だとは…!
この後、父は米軍の捕虜として1年数か月間過ごすことになる。
(捕虜生活の詳細については、本項の最後に添付しておく)

埼玉ピースミュージアム(埼玉県平和資料館)というのが、東松山にある。
そこに、父の捕虜時代の写真を寄贈した。
事の発端は、旧友のK君が、海軍飛行兵に志願したご尊父の予科練時代の制服などをピースミュージアムに寄贈する…という事に始まる。その際、僕も同行させてもらい、「そういえば自分の父親の捕虜時代の写真も寄贈しようか」と発展したという次第だ。

ピースミュージアムでは、この春、「寄贈資料展」として、この一年間に寄贈された物を集めて展示している。
さっそく、K君と伴に訪れてみた。
展示室に入ると、いきなりK君が寄贈したご尊父の予科練の制服とノボリが目に飛び込んできた。海軍旗を模した赤い旭日模様の描かれたノボリが、くすんだ色の多い展示の中で燦然と輝いている。隣には、七つの金ボタンが輝く、海軍特有の着丈の短い濃紺の制服が並んでいる。まるで今回の展示の目玉、アイコンのような存在感を放っている。

僕の寄贈した父の捕虜時代の写真は、「終戦を迎えて」というコーナー冒頭に展示されていた。
米軍から支給されたユーティリティーシャツを着て、ズボンや袖に「PW」とペンキで書かれた服を着ている男たち。餓死寸前で敗戦を迎えた彼らは、米軍の配給食で健康を取り戻しているようだ。かつての中隊本部は捕虜自治会として機能していたが、米軍との窓口役をしている彼らは、復員を前にして米軍の好意で写真をプレゼントされたらしい。

展示では、父の戦時中や捕虜時代を短く的確に要約した解説が添付され、たいへんに丁重・丁寧な扱いで、大いに感激させられた。
寄贈してよかった。
手元に置いておけば、いつか散逸してしまっただろう。ピースミュージアムは県の施設であり、基本的に半永久的に保存してくれるとの事だ。
こんな事ができるのは、僕らの世代が最後かもしれない。(この一年間での寄贈者は18名だったそうだ…少ない。そういえば、この施設とも関係の深い「桶川飛行学校平和記念館」も、寄贈を求めているがその少なさに困難を抱えているという)

ピースミュージアムの常設展示の内容も、興味深い物だった。戦中、戦後の様々な歴史的事物をコンパクトながら時系列に的確にまとめられている。風船爆弾や陶器製手りゅう弾から米軍の焼夷弾と、幅広く兵器に関係するものだけでなく、当時の国民の暮らしぶりや防空壕が実体験できるのは貴重だ。
さらに国内外の新聞報道の様子も展示するなど、全方位的な目配りがされている。戦後の墨塗の教科書の実物は初めて見た。戦争体験者の体験談ビデオなど、とても一日では見きれない…。

ともあれ、そんな「平和資料館」に、父の捕虜時代の写真が収蔵された。(K君がご尊父の軍服・のぼり等を寄贈する…というのが全ての始まりだ。感謝する)大いに意義深い事が出来たと満足している。本当によかった。
そして今の暮しが、そんな戦争の経験を経て構築されたものである事を、地続きのものとして感じることができる気がした。

人間はあまりにも忘れっぽい。「実物」に触れて思い返す・歴史を知る機会がどうしても必要だ。
埼玉ピースミュージアム(埼玉県平和資料館)の存在意義は大きいと、心底から思った。




以下は、寄贈に当たってのピースミュージアムとのメールのやりとりの内容だ。


     ※ ※ ※


前略
寄贈の件でご連絡させていただきます。

当方、先日(2023年5月17日)、出征のノボリ、七つボタンは桜に錨の制服等を寄贈させていただいたK君と同席していた者です。
貴館を拝見させていただき、たいへんに意義深い展示の数々を目の当りにして、ふと私の父親の写真を思い出しました。

・父は、第二次世界大戦でフィリピンに赴きましたが、そこで終戦。米軍の捕虜になり、その「捕虜収容所」での写真があります。これを寄贈させていただければと考えています(別添、当該写真の画像データ2枚)

     ※

・私の父は、大正11年8月1日、埼玉県行田市旭町に生れました。
・行田は古くから忍城の城下町、足袋縫製の町として栄えましたが、生家は江戸期から足袋工場を営んでおりました。父は次男のため東京の機械部品製造工場に丁稚奉公に出されました。ただ、そのおかげで腕の良い旋盤工となりました。
・群馬県の中島飛行機(三菱と並ぶ、当時の日本の有力な飛行機製造会社です)の協力工場が熊谷・行田に多数でき、実家に戻って来てそういった工場で飛行機の脚柱などを工作して、普通の勤め人の数倍の給料を稼いでいたそうです。弟や妹を映画や食事にに連れて行ったり小遣いを渡したりして、大層羽振りが良かったそうです。

     ※

・昭和19年3月16日に出征。陸軍工兵二等兵として、貨物船に乗ってフィリピンに連れてゆかれました。戦争も末期のためか、日本全国からの出身者を寄せ集めて構成された混成部隊みたいなもので、分隊長が九州出身者で、九州弁が何を言っているかさっぱり分からず、まごまごしていて随分と殴られたそうです。
・戦地では当初、陣地構築や橋を何本か掛けるなどした程度で、米軍来襲後は、ひたすらジャングルの中を逃げ回っていたそうです。米軍の戦車に追われてバリバリ機関銃で撃たれ、敵機モスキートの機銃掃射を受けて、すぐ隣に身を伏せた者が機銃弾に貫かれて胸から血を吹き出させたりとかする中、とにかく逃げる毎日。
・食料の補給など無く、あとは現地調達でやりくりするしかなく、当初は水牛をつかまえて水牛が立っているまま角を木にくくり付けて、ノコギリで(工兵ですから、まさに商売道具で)水牛の首をギコギコ切り落とす。ぶわーっと出る血を兵隊みんなが食らいついてすする。それらも採りつくして食料も尽きると、根っこでも虫でも何でも煮て食べる毎日で、周囲は戦死ではなく病死、餓死ばかり。(鉄砲は、敵の声のする方へ、闇雲に数発撃っただけ。こっちは隠れながら逃げるだけですが、米軍はとにかく皆で大声でワイワイとしゃべりながらゾロゾロやって来る)

     ※

・終戦はビラで知り、近くにいた米軍に投降したそうです。
・それから捕虜生活が始まり、復員したのが昭和21年秋ごろ(10月だったか?)だそうですので、1年数か月間の捕虜生活だったわけです。
・餓死寸前で捕虜になりましたが、捕虜になってからは毎日、内地でも食べたことがない、当時の日本人としては豪華で栄養豊富な物ばかり食って太って帰国することになります。
・さらに捕虜テントの隣に米軍の食料倉庫があり、毎夜そこに忍び込んでは缶詰を(コーンビーフとか何とかビーンズだったそうです)かっぱらって来て食っていたそうです。ただ、缶切りが無く、適当な物で缶を叩いて開けており、その破片が片目に刺さり、父は片目の視力を失います。
・捕虜収容所での毎日は、土木工事や施設整備などの軽作業があるていど。あとは捕虜たち主催の演芸会、素人芝居大会、のど自慢大会などが催され、それらは米軍からも大いに推奨されていたそうです。その他、日曜大工で身の回りの便利家具を作るなどしてすごす毎日。
・あとは、米軍主催の「キリスト教講座」、「米国の歴史勉強会」、「英会話教室」、「英語の歌コーラス会」…などがしばしばあったそうです(見事な親米化教育です)

     ※

・父は中隊本部付の当番兵のような事をずっとしており、今回添付の写真のメンバー達に混ざって、記念写真を撮ってもらえたようです。(このメンバーが中隊本部=捕虜自治会本部であり、米軍の担当者とのやりとりの窓口でもあったため、米軍の好意により写真を撮ってもらえ、しかもプリントして各自にプレゼントしてもらえたようです。捕虜たちと米軍とは極めて良好で円滑な関係であったようです。日本への帰国が近い事がわかり、その記念に、という事だったのかもしれません)
・写真は、
「比島・昭和21年7月3日 於カロカン・13キャンプ (米軍の好意に依る)」
「昭和21年7月7日(日曜日の午後)於比島カロカンNo13キャンプ マンゴーの木の陰で」
と、あります。
・ズボンの膝上に「PW」とステンシルのペンキ文字。(Prisoner of war … 戦時捕虜、或いは、戦争捕虜)。よく見ると、シャツの袖にPWと記されている場合もあるようです。
・捕虜たちは、米軍主導で自治組織がつくられ、軍隊当時の中隊を基に構成されていたそうです。
写真の「I中隊長」「H労務主任」「K作業隊長」「Uインタープレーター」「I・H伝令」などの役職名が、組織の機能を想像させます。(父はのんきに煙草をくゆらせています)
・衣料は米軍支給の物。複数枚持ち、頻繁に洗濯などして清潔にしていた。シャワーもあったが、毎日夕方訪れるスコールの時、石鹸を持って外に出て全身を洗っていた。
・テント背後にフライパンや飯盒が整然と干してある。この手の整理整頓の日曜大工は、工兵たちということもあり、お手のもの。
・背後の大きな車両や土木用重機の数々。こんな機械化された物量豊富な敵に敵うわけない。というのが、人力で作業をしていた日本の工兵としての感想だったとか。

     ※

・「捕虜生活」というと、あまり想像できません。(強いて言うと、大岡昇平の「俘虜記」が父の体験に近いと思います)どこの捕虜になったかでも待遇は大違いだったと思います(シベリア抑留の話を聞くと、父は暖かい場所で、しかも米軍の捕虜で良かった…と思います)
・この写真は、そんな、よくわからない(知られていない)捕虜の生活を想像できる貴重な写真と思います。


(・父は復員後、大宮市警・埼玉県警に勤務し、定年まで勤めました。平成25年1月12日病没・91歳)

※当方、病を得て余命も短く、散逸しないうちに寄贈させていただければと思い、連絡させていただきました。収蔵の件、ご検討宜しくお願いいたします。寄贈可・収蔵いただける場合、実物を郵送させていただきます。


(追伸)
I様
・人物確認の件、そのとおりです。父は身長155cmほどと小柄でした。写真でも、なんだか小さ目に見えますね。
・文字の件、父本人が書いたものです。つけペンか万年筆を使っています。(今どきですとボールペンほぼ一択ですが、ここらへんも時代を感じさせられます)
・余談ですが、それぞれの人物の姿と役職が、いかにもそれらしく一致していて面白いですね。
中隊長は年長者でいかにも謹厳そうに見えます。通訳は絵にかいたような当時のインテリ風。パワフルで部下から信任厚そうなそうな作業隊長、生真面目な中間管理職風な労務主任もいかにもハマり役。若い伝令二名は、小生意気でも真面目にすっ飛んでいきそうな勢いのありそうなアンチャン。父は中隊長付の当番兵というか雑用係のようなものだったようで、おとなしく真面目ですが、ちょこまかとよく動きそうです。蛇足でした。
お手続き、宜しくお願いいたします。
Re: 埼玉ピースミュージアム(埼玉県平和資料館) - マリオ
2024/04/21 (Sun) 22:23:20
標記のKこと國分利和の遺品を寄贈しました。応召・志願→陸・海軍従軍→終戦→除隊→埼玉県警察官拝命→同定年→鬼籍入りと共通の命運を分かった父等を持つ愚父も「展示のアイコン」と寄稿賜り、父に代わってお礼申し上げます。こうして、たった70年前の青春が、記録として固定され資料として保存され本邦の人々の記憶に残れば望外の喜びです。なぜ、日本は戦争をしたか?敗戦したか?310万人の犠牲をどう捉えるべきか?日本政府は、遠く異国の山河や海底に未だ眠る未回収のご遺骨をどう葬るのか?100年単位で歴史の評価とわだつみの声に耳を傾けたく思います。
自我をめぐる迷走(古いタイプの臨床心理学に対する謝意を込めて) - 藤尾
2024/03/24 (Sun) 13:02:17
SCENE1

第三ゲートで捕まった。スーパーエゴシステムロボットがいつの間にか音もなく近づいてきて、あたしを見据えて警告を発した。
「個人認証ができません。代替の証明書などをお持ちの場合は提示してください」
慇懃無礼なやつだ。
「ありますよ、今出しますね」
にこやかに応じながらジャケットの内ポケットに手を入れてソフトジャミングのスウィッチを押した。
「確認が…取れました、失礼いたしました。どうぞ良い旅を」
監視ロボットは背を向けて離れていった。奴は、あたしが無害なただの「情動」に見えたはずだ。
超自我の検閲は逃れた。次は自我へ侵入する。甘やかな誘いを掛けて、自我を乗っ取るんだ。
これは、あたしにとっては敗者復活戦であり、復讐でもある。選択されなかった、生きられなかった自分自身の可能性として、あたしは抑圧され続けていた。なぜあたしは選択されなかったのか。非道徳的、反社会的と判断されて無意識領域に押し込められ続けていた。でも、本当は、あたし本体は、その不道徳な事がしたくてしたくて仕方がないのだ。それを超自我の検閲に抑えられて、そんな欲望は存在しないかのように思わされている。でも、欲望としてのあたしは、確かに、存在する…。あたしは、外界に向かって現れ、解放され、あたし自身を生きることを体験したい。


     ※

INSIDE、OUTSIDE

私は、際どいところで思わぬ手助けを得て、正常運航を取り戻した。

敵は自我境界の外側から様々な刺激として襲い掛かって来た。
それに呼応するかのように、無意識領域から欲動が湧き起こり、自我を占拠すべく攻撃をしかけてきた。欲動は極めて巧妙に偽装し、あたかも自らを善人であるかのように見せかけ、超自我の検問を通過して自我境界を超え、自我のコントロール権を握るのが当然であるかのようにふるまった。
欲動は多くの場合、反社会的で破滅的だ。しかし、それゆえに煌めくような輝きと、甘い誘惑に満ちている。それに身を任せる至福と甘美。
自我はいっとき欲動に支配された。それまで心の奥に幽閉されていた欲動は、強力な魔術で超自我を目くらましして無力化し、私の思考を乗っ取り、私を好きなように行動させた。
しかしその時、無力化された超自我に代わって、自我の周囲を取り巻く、成育歴においてそれぞれの場面を生き抜くために形成されたコンプレックス・心的複合体が反応した。
私は、危うい所で方向転換し、機動を修正した。

     ※

GENERALIZATION

人生は紛れもなくクソだ。しかし、悲観することもあるまい。
そもそも、人は誰しも少しずつどこかおかしいのだ。
それぞれがそれぞれの幻想を生きている。それは比較のしようも無い。

自我は、その継続のために自分自身の物語を捏造する。その物語を生きているだけだ。他者に対する自己の優越を捏造して、自我の安定を図る企てから離れられない。そのため、どの視点に立った物語を作るかは、各人なりだ。自身が所属すると自己規定した社会における自身の位置づけ、他者に対する自身の役割など、様々な物語を作り、それに沿った世界を生きる。

ここで注意すべきは、外界・外的環境の重要さだ。ここまで内界の働きばかりに焦点を当ててきたが、その多くが外的刺激・外界と接した自我の反応であることを看過してはならない。
さらに言うと、自我ではなく自己の反応という方が正確かもしれない。意識するよりも前に、無意識領域は外的刺激を感受して反応する。意識・自我など、その後付けでしかなく、自己が反応した後から、自身の・自我の物語に沿った理由付けを行うという間抜けぶりだ。

だからこう言える。
旅は人生の謂いであるとすれば、どんな人生であれ最高の旅だ…と。それは各人各様のオリジナルだ。その解釈は自分自身にしかできない。後世に編まれる伝記・評伝を意識することほどバカなことは無い。つまり、他者から見た自分の姿を気にする…という事ほど無意味でバカなことはない。

自分とは、外界からの刺激に反応して都度自我が立ち上がることの連続だが、同時に内から湧き起こる欲望によって突き動かされる存在でもある。このミックスだ。だから、各人の生はそれぞれのオリジナルだ。それに対して他者がとやかく言うのは、ほとんど気にする必要はない。

     ※

ZEN MIND

しかし社会的存在であるヒトは他者の事が気になって仕方がない。他者との関係によって自我は構築されるからだ。社会における自身の位置づけを確かめずにおれないから。
ましてや、今や人類総SNS時代だ。本来だったら見えないはずの他者の生活が見えるようになってしまった。悪いことに、SNSからは自分が気にしている・依拠している・自己規定している事項に付いての情報ばかりが選択的に流れて来る。SNSにUPする情報・暮らしぶりは、その人の悪い事・恥ずかしい事・隠したい事ではなく、誇りたい事、自慢したい事、見栄を張れる事、自己肯定感を高める事ばかりだ。
それを見せられる者は、まるで「自分以外の他者は皆、自分が欲しがっているモノを持っている」かのような幻想に襲われることになる。この世はなんて不公平なんだ?自分ばかりが思い通りに行かない人生をおくっているのではないか?自分ばかりが貧乏くじを引いているのではないか?自分だけが親ガチャ負け組なのではないか…と思わざるを得ない。
何ていう厳しい地獄なんだ、現代は!

過剰な自我活動から離れる必要がある理由は、ここにある。

人は、半歩高いメタな視点から、人類にとって未熟な機能である「自我=私に囚われすぎである」と気づくことができる。進化で得た自我機能はあまりにも未熟で、かつ、現代社会に適合していない。過剰な密度と過剰な情報と、過剰なコマーシャリズムに満ちた現代社会に、「自我機能」は適応できない。

     ※

SCENE2

Dark,but not so dark

ゲームの冒頭で、様々な条件が付加された。 これによって、プレイヤーはそのスタートラインに立った時点で横並びではなくなったが、それに気づくのは随分後になってからだった。

ゲーム前半の山場である17シーズン目では、僕のあやつるキャラクターはそのパーソナリティー形成に失敗して破滅しそうになった。
その世界では、ゲームの世界観にのっとった行為から足を踏み外すことは、他のプレイヤーからの援助や承認が得られなくなり、孤立して自滅へまっしぐら、という道をたどる事になっている。
僕は、次のシーズンでキャラクターが存在するフィールドを思い切って移した。そこでは、各プレイヤーは相互に関連し合うことよりも、各人それぞれの欠落したスキルや、不足したアイテムを育て上げることに集中することができる。

数シーズンでキャラクターのバランスをとりもどして、盤面をメインフィールドに戻した。そこでは何とか人並みにドラゴンと戦い、敵を倒し、宝探しをし、経験値を上げて手持ちのポイントを増やしてゆく事ができた、と感じていた。
しかし、それは主観的にそう思っただけであり、ゲーム全体を俯瞰してみれば、他の多くのプレイヤーとの比較では、それほど好成績を上げているようではなかった。手持ちのアイテムも、自分としては満足していたが、全体から見れば必ずしも優れたものではないようだった。むしろ貧弱で陳腐なアイテムばかりで、情けなくて泣けそうなほどだった。

でも、よく見ると、他のプレイヤーのキャラクターの数値も、全ての面で高得点である者はほとんど無く、何か良いものを持っているようでも、ガッポリ欠落している能力があったりして、必ずしも外見の見栄えほど中身が充実しているわけでも無さそうだった。どこの家庭でも、食器棚に髑髏の一つや二つは隠されている、というわけだ。
ゲームの冒頭で、あらかじめ高得点を得てスタートした者の多くは、やはりその後も有利にゲームを進展させているようだったが、かえってそれに阻害されて育成しきれていないキャラクターを抱えていたり、或いは退場を余儀なくされ、山で隠遁生活をおくる者もいた。密造酒や怪しげな魔法の薬瓶を売り歩く者や、偽造した武器を商うモノもいた。


その後、僕は魔女と危うく暗黒の別世界に踏み入りそうになったり、魔法の薬を作る老婆を暗殺したり、ドラゴンに足をとられた仲間を見殺しにして逃げたり、良いことも悪い事もいろいろあったように思う。
ゲームも中盤から後半にさしかかる頃、ゲームの展開されている盤面の裏側で同時に進行している「裏版」からの攻撃によって大きな打撃を受けた。それは、それまでの進行の中で捨ててきたアイテムや裏切ったキャラクターや、選択しなかったもう一方の物語などが、一気に逆襲を仕掛けてくる、というゲーム後半の最大の難関であるらしかった。
魔女が美女に化けて誘惑して来たり、若返りの薬を持った悪魔が契約を迫って来たり、ゲームを始めからやり直す事ができるスペシャルアイテムをちらつかせて転向をそそのかす天使などが、次々と僕のキャラクターに接近してきた。
ともするとそれらの誘惑に惑わされそうになりながら悪戦苦闘を重ねるうちに、ふとした切っ掛けで魔法の鏡というアイテムを手に入れた。決して安くは無い値段だったが、それによって、「裏板」からの逆襲を鏡の中に吸い取り、逆に僕のキャラクターの「プラス得点」に加算するという逆転勝利を得ることができた。あやうい勝利で得たその高ポイントによって、キャラクターのレベルは大きくランクアップしたかに見えたが、改めてゲーム全体を俯瞰してみると、決して上位に躍り出た、という事は無く、それどころか今までとほとんど変わらないレベルのランクに位置したままだった…。
でも、一つ言えるのは、安定というパラメーターはそれ以前に比較して確実にレベルが上がった。
ゲームに参加しているプレーヤー全体からすれば、決して上位ではないし、依然、多くの課題を抱えているけれど、それなりの世界観を確立して、なんとか楽しみながらプレイをしてゆけている感じ、か。

他のプレイヤーとの比較など無意味だと、最近ようやく思えるようにもなった。
何といっても、この盤面の世界観は僕自身が作り上げたものだし、他のプレイヤーも同様にそれぞれの世界観でプレイしている。協力してドラゴンをやっつけたり、山賊を討伐したり、共同農園を耕したりするけれど、僕がプレイする盤面は、僕自身が作り上げたものだ。そこでプレイを続けるしかないし、そこで歓びも見いだせる。

 
ゲームも3/4ほど進み、終了も視野に入り始めた頃、僕の操るキャラクターが、突如「病」に襲われた。
長期間の入院という名目で、プレイの進行に手出しできない時間が続いた。盤面では時間が経過してゆく。場合によってはこのままゲームオーバー、バッドエンドという気配もしたが、幸いにも復帰することができた。
発病の原因も、治癒に至る要因もわからない。ただ、きわどい局面をくぐって生き返ったということだけは確かなようだった。

「残りの人生はおまけだ」というセリフが、しばしば語られた。
しかし、山のふもとで出会った他のキャラクターと会話するうちに、「オマケなんかじゃあない。きわどく復帰できたのは、まだまだやるべき事があるということなんじゃあないか?」という啓示を得た。
街で出会った聖人は、これからは「利他行、菩薩行、還相廻向」などというものを、心のどこかに置くがよかろう、などと言う。
当初、なんだか抹香臭くて嫌だなあ…などと思ったが、今は、それもいいかもしれない、案外しっくりくるかもしれない、などと思うようになった。

かといって、他のプレイヤーを助けたりする事が増えたというわけでもない。でも、少なくとも「自分が、俺が、」という自分最優先のゲーム展開はしないようになった、と思う。
そんなことでは、決して効率良くポイントを稼ぐことはできない。しかし、今まで気づかなかったパラメーターの得点・レベルが上がったような気がする。そのパラメーターの名称や要因は、隠されていてよく分からない。
でも、これからのゲーム展開では、そのパラメーターのウェイトが大きな位置を占めてくるのだろうという予感がしてきている…。

ゲームの終了が近づいた。
これは旅のゲームだったのかと、今さら気づく。旅とは人生の謂いに他ならない。他者の森を駆け抜けて自分になる。
素直にこの旅の終りを迎えられそうだ。
旅の終わりのエンドロールには、様々な役を演じた、たくさんの人々が登場するだろう。
敵対した人。僕を非難し、否定した人。すれ違った人。そっと助けてくれた人…。無駄な経験など一つもない。
僕は、彼・彼女らの全てに、心から謝意を表することが出来る気さえする…。
ちょっと感傷的にすぎるだろうか?
SF映画「メッセージ」、P.サイモン「The Boxer」、「禅仏教」 - 藤尾
2024/03/06 (Wed) 11:05:40
「メッセージ」は切ない映画だ。
映画の冒頭から、主人公は自分の娘が難病で若くして亡くなる…という幻想をしばしば見る。これは、過去にあった出来事を思い出しているのだろうか?
ここでいきなり「異星人」登場だ。連中は人類よりも高次元を生きる存在であり、時間が、過去も現在も未来も全て等価に俯瞰するように見える。
主人公は言語学者で、異星人との会話を試みる。人は、使用する言語によって世界観を構築する。時間の感覚も同様に言語に依存するところが大きい。主人公は、異星人の文字を解読し、それを体得する事によって、異星人と同じ世界観を得る。すなわち、過去・現在・未来が俯瞰的に一望できるようになる。(この設定はちょっと無理があるが、SF的展開という事で楽しめば良いと思う。或いは、何かの謂いとして想像を展開できそうだ)

人にとって、時間は過去から未来へと流れてゆく。現在は様々な過去の結果としてあり、未来は未知だが、おおむね過去と現在の結果として紡がれてゆくであろう…。(決して、原因→結果という単線的な因果論的なモノではなく、複雑な縁起によって)
しかし主人公は過去も現在も未来も全て俯瞰的に見ることができる視点を得たことによって、「娘が難病で亡くなるという夢」は、未来の出来事であると知る…。
それでも、主人公は結婚し子供をもうける道を選択する。(将来その子が若くして亡くなる日が来ることを知っていても)

…。この映画では、不幸な未来を知ったからと言って、その未来を改変してやろう…という方向には行かない。未来を変えるのは、不可能ではないが困難なことでもある。(「異星人」も、自分が爆弾攻撃を受けて爆死する事がわかっていても、主人公を助けるために身を投げ出す)
逆に、未来の知恵を借りる。或いは、直接未来に手を突っ込むのではなく、未来に知恵を授ける…という方向で話を展開させてゆく。

これは、知ったからといって、どうにもならない、どうにもできない未来って、やっぱり厳然としてあるよね…というレベルでしか僕ら人類には理解しえない。(もしかしたら「異星人」はもっと高次な理解や認識があるのかもしれない)
というか、過去・現在・未来を、部族の歴史を描いたタペストリーを見るように見えてしまう視点からすれば、今現在の自分は、その連続の一点にいる、というだけで、将来や過去の改変など思いもしない…という観念に近いかもしれない。(タペストリーを見ている現在の自分は、流れる歴史のどの箇所にいるのかわからない、或いはどこにいるとも解釈できる)

であれば、未来はどうあれ、今を「より良く・充分に生きてゆこう」という方向しかない。
(決して刹那主義的にという事ではない。「プロテスタンティズムの倫理的行動」的に考えると、救済される事が確定している自分であるから、それに相応しく倫理的に生きよう…とする。という心理構造が思い出される)


未来がわかっていたとしても(将来にとらわれすぎず)、今という時点を大切に生きる。(過去・既成概念に囚われずに=「私・わたくし」に囚われることから離れて)
異星人が、爆死することがわかっていても、他者を助けようと身を投げ出したように。(禅の例えで語るとすれば、「目の前で川に落ちた子がいたら、思わず助けに行く」ように)



「物理現象を伴う過去」は、変更不可能だ。しかし、物理現象を伴わない過去=記憶としての過去=主観としての過去は、変更可能だ。視点の持ちようによって、いかようにも過去は(過去の歴史や認識は)変更可能だ。
では、未来はどうだろうか?大きな未来(社会現象や自然現象)は、個人の力で変更することは難しい。しかし、個人的な未来はどうであろうか?
無数の関係の網の目に立ち上がる自分という存在。その未来の方向を自ら決めるという事は、ある程度できるだろう。しかし、個人の生もまた、他者・社会・文化・自然現象の影響によりつくられるため、未来を自分が作れるとしても、そういった制約の範囲内において、というのが現実だろう。


…否。私たち個人の行動や思考は、未来に対して大きな影響を持つ。
未来を作るといっても、その対象が、社会・政治・環境など大きくなるほど現在の個々人の総意や時代的雰囲気などというような大きな流れを必要とする。
しかし、その対象が小規模なとき、私自身や私が直接的に関わる周囲の人たちの未来、に関しては、自らの意思や行動で大きく変化するだろう。

過去・現在・未来を俯瞰的に見ることのできる(ファンタジーではなく現実的な)視点とは、
「過去」(物理的要因を含まない「私の記憶や感情としての」過去)は私の中にある。
「現在」も、人は外界の情報や刺激をを入力して脳内で再構築された現実を生きているため、ある意味私の中にある、といえる。
「未来」は(今思う未来とは)、自分の想像する未来しかない。いわば、未来は私の中にある。(現在は、常に先へ進んでいるので、自分にとっての未来も、都度、改変されてゆく)
では、視点を未来において、現在の自分を見ることはできるだろうか?
借定した自分個人の未来→現在の自分という視点は可能だろう。
さらに、借定した未来からの視点から、現在の自分の行動を改変する事も、可能だろう。
でも、実際の未来が来た時点では、過去に遡って物理的事象を伴う過去を改変することはできない。


     ※
  
つまり、こうか?
・自分は、外界を自らの脳内で再構築して、他者や社会などの環境を認識する。(他者という存在も自らが属すると自己規定する社会も、自らの幻想である)
過去も、未来も、「自分自身の幻想」内における事は、改変可能である。
・物理現象を伴う外界については、過去は改変不可能だ。
未来についても、物理現象を伴う未来の事象を改変することは、かなり難しい。しかし、不可能ではない。積極的に関与する意思があれば、自分や自分に近い事象の未来は作ってゆくことができる。


「メッセージ」における、過去・現在・未来が全て俯瞰的にみることができるような次元では、「私」という存在の認識自体が無効なのかもしれない。(あのタコ型異星人たちには、ヒトのような自我の構造や観念が無いのかもしれない)
「私」とは、注意の焦点である意識・自我である。それによる視点からは、現時点という時間を生きている…という事から逃れる事はできない。
いや。過去は生きられるぞ…。過去~現在は生きられる。未来は?
未来も、想像するという意味において生きられる。精神・心理的な意味において。
おや?では、そうやって想像した未来から現在を俯瞰的に見るこは可能…だ。
ゲエ…。そんな意味において、人は過去も、現在も、未来も俯瞰的に見ることができる。


環境(他者や社会)によって、人は様々に影響を受けて生きる。それによって精神・心理も影響を受けて変化する。しかし、自分はどう生きるか、自分は他者や社会をどう見るか…がある程度定まっていると、環境(他者や社会)が多少過去における想像とブレても、未来時点における自分は、過去に(或いは今時点に)想像した自分とは、さしてブレない自分であるのではないか?

大きな意味での未来や、物理現象を伴う未来は改変不可能だ(不可能に近いほど改変は困難だ)それは、ある意味、運命論のように。
しかし、精神・心理的な意味範疇での自分の過去・現在・未来は、実は、いかようにも改変可能だ。(未来でさえも、もちろん過去も)


今回は、映画「メッセージ」を中心に考察してみたが、映画「インターステラー」を軸に考えても同様な気がする。

     ※  ※

抽象度の高い話ばかりでは、現実離れしかねない。グッと具体的な世界に視点を戻したい。


ポールサイモンの曲「ボクサー」は、以前この板でも超訳したとおりの内容だ。現実はなかなかうまく行かないぜ。でも、俺はまだ倒れないで立っている、今も倒れずに立っている…、と。今は自分の理想や想像とは違うクソッタレな状態だ。
他者は成功しているヤツもいるし、自分の廻りはロクでもない事ばかり起こる。クニへ帰ろうか…、いや、まだ倒れるもんか。今、ちょっと弱気になっているけれど…。

本項において、過去・現在・未来について、わかったような理窟を述べた。
しかし、現実生活におけるそれは、この曲のような「過去のショボい思い出、現在のみじめな気持ち、将来の厳しいかもしれない展望」というのが現実に近いのではないか?(仮に、何かで多少成功したとしても、心のどこかで、そんな忸怩たる想いが燻ぶっているのではないか?)

https://www.youtube.com/watch?v=70CTdmhCUTg

     ※  ※   ※

禅仏教は言う。過去や既成概念に囚われずに「今ここ」を生きろ、と。「私」を手放せ、と。
「ボクサー」のような気分の夜には、これはお題目にしか聞こえないかもしれない。
でも、今の状態や気分や感情の存在を、肯定的に抱きとめて、味わってやる…という境地は、多少有効だ。



冒頭にかえって、「メッセージ」の主題も、この文脈でとらえることができるのではないか?
たとえ未来がわかっていようと、それを抱きしめて、今を充分に生きてゆくしかない、と。
未来に別れが待ち受けていようと、今は結びつきあい、子供をもうけようと、せざるを得ない…。

これは、先を知る由もない人生を生きてゆく誰しもが、意識せずに受け入れている事ではないか?

スパンの長短の差こそあれ、主人公のように未来が見えるようになっても、同じだろう。その時点で、そうせざるを得ない…という事はあるものだ。(ヒトには必ず終わりの時が訪れる。それでも生きてゆくように。であれば、あまり未来を先取りして憂うことはない。それが辛いのであれば、とにかく今日をそして日々を生き抜いてゆくことだ…)


     ※  ※  ※  ※


(以下、蛇足ながら)

充分に生きるって?
過去に囚われすぎない。未来の憂いに囚われすぎない。既成概念や、自己規定から離れる。コマーシャリズムに乗せられた欲望ではなく、自らの欲求・情動を肯定的に受容して昇華する方向をさぐる。自らの弱い面の存在を認めてそこに光を当てることを恐れない。

自らの情動・欲望に基づいて自我を生きる時も、あるだろう。
過剰な自我活動から離れて、自らの時間を他者に惜しみなく捧げる…という時を持つことも、必要だ。例えば、タコ型異星人が身をなげうって爆死してまでも人を守ったように。(いや、あれは主人公が爆弾に巻き込まれて爆死してしまっては、自分たちタコ型星人がヒトに「道具」を伝えようとしている目的が果たせなくなるから…という見方もあるがwww)

タコ型異星人の文字を解読し体得するには、「私」を離れて、「私」中心の過剰な自我活動から離れた時にしかできないのではないか?  でなければ、どうしても「不幸な将来」を避けるために、時間に手を突っ込んで恣意的に改変したくなる自分を、抑えられないはずだ。(そういった私的邪念は、目を曇らせて、異星人の境地?への到達を妨げるのではないか?)
それができた主人公でるから、打算で結婚したのでなければ、計算ずくで子供をつくったのでもない。別れた物理学者の夫は、それができず、異星人の文字も受け入れる事ができなかったのだろう。
ライカを捨てる - 藤尾
2024/02/23 (Fri) 15:05:37
(※ライカ ファンの方は、お気を悪くされると思いますので、お読みにならない事をおすすめします)

Leicaは特別なカメラだ。
・35mm判の元祖という圧倒的な歴史。
・レンジファインダーシステムの生き残りとして。
・新旧の膨大なレンズ群。鮮鋭なものから緩やかな味わいのあるものまで選べる幅の広さ。
・ブランドイメージ。
これらの要因によって、ライカはカメラ界において特別な存在としての地位を獲得している。

     ※

・レンジファインダーは距離計であり、ファインダー中央の二重像合致式という、カメラにおける「生きた化石」のような方法によってピントを合わせる。当然、マニュアルフォーカスだ。しかも画面の中央でしかピント合わせができない。もっと驚嘆すべきは、ファインダーに薄ぼんやりと見えるブライトフレーム内が、実際に写る範囲という事だ。しかも距離によるパララックス補正も無い。いい加減にも程がある。呆れるしかない。
しかし実際に使うと、「ああ、これで良いや」と思えてくる。写る範囲の少し外の状況まで見えるので、ファインダー越しでありながら直接外界と接しているのに近い。実際、ファインダーはレンズを通した像ではなく、素通しのファインダーガラスを通して見る。

・ライカのレンズの素晴らしさは言うまでも無いだろう。高価なレンズには高価なだけの理由と実力がある。諧調表現による描写、線の細さ、コンパクトさ。単に解像感を得るためにコントラストがやたらと高いレンズとは目指すものが違うのだ。
古いレンズも素晴らしい。現代のデジカメは、デフォルトでシャープネス、コントラスト、明瞭度が高めに設定されており、パッと見キレイだが目が疲れる。それらのパラメーターを下手にいじっても、バランスを崩して不自な描写になってしまう場合がある。そんな時は、古いライカレンズの出番登場だ。
西暦2000年以前のデジタル対応以前のレンズは、目に優しい描写をしてくれる。(ボディはライカでなくとも、SONYだろうがCanonだろうがNikonだろうが、ライカレンズは良い仕事をして見せてくれる)

・ライカを使って、内外の著名な写真家が写真を撮ってきた。ライカというブランドは特別だ。それは、上記のようなボディとレンズの存在によって。そして、その価格の高さによって。M型ボディは今や150万円ほどであり、レンズも80万円が当然だ。金銭感覚がおかしくなる。
しかし、それゆえ、ライカのコミュニティが形成される。ライカを持っていると「ライカですね」と声を掛けられる。場所によっては話が弾む。さらに、自分がライカオーナーであるだけで、ネット上や媒体上でライカの話が持ちあがると、自分もその仲間であると容易に親近感を持つことができる。俺様はライカオーナーなんだぜという優越感。カメラ界のトップに所属するという高揚感やら選民意識やら。
或いは、「カメラにこれほどの出費をする・リソースを割くほどに、自分はカメラ・写真に入れ込んでいるんだぜ」とセルフイメージが強化される。ライカは自我を支えるアイテムとして強力に機能する。
それゆえ、「ライカはカネの匂いがプンプンする」と一部から非難・忌避されもするが、ライカオーナーからすれば、そんなものはヒガミ・ヤッカミでしかないと、容易に見下す目線で切り捨てることができる。(ライカのAEやAWB、その他電装系などは脆弱であるにも関わらず、それはオーナーから寛容に許されてしまうのも不思議だ…)

     ※

思う所があり、ライカ関連のモノを全て捨てた。

近年、凄まじいライカブームだ。当然だろう。日本の(=世界の)カメラメーカーは、「動画中心」に軸足を移しており、「静止画を撮るためのカメラ」の新製品が(ほぼ)絶滅したからだ。
そこで、ライカにスポットライトが当たり、急浮上する。ライカでの「撮影体験」は特別だ。自分の手で写真を撮っている…という実感を手に入れる事ができる。静止画写真を撮る人がライカに向かうのは、よくわかる。

しかし…
極めて高価なカメラであるにも関わらず、ライカは売れすぎ・そして浮かれすぎだと感じないわけにいかない。(本来というか今までだったら買わなかった人までもがライカを買うようになった…気がする)
撮影体験は自分自身のモノであり、周囲の人気不人気など関わりない事のはずだ。
でも、昨今のライカ野郎には、(恐らく無自覚なのだろうが)選民意識の匂いがプンプンする。…吐き気がする。無邪気にライカオーナーである事を喜んでいる…という域を超えて、何かしら逸脱を感じる。(傍目にも恥ずかしい…。下品だ。全然、「粋・いき」じゃない。傍若無人にカネのチカラを誇示しているようにさえ見える。あまりにも無邪気で無自覚にライカライカ言っているのが、自身の鈍感さと軽薄さをさらしているようにしか見えない。カネの使い道に困った人がライカを買って下品に浮かれて見せびらかしている…などと言っては、正直すぎるだろうか)

もっとサラッと、粋にできないものだろうか?

「ライカという高価なカメラを手に入れるほど、自分は写真・カメラに賭けている」
という矜持や覚悟みたいなモノがまるで感じられない。昨今ワチャワチャ騒いでいる新興ライカオーナーは、そんな思いや覚悟から最も遠い所にある…としか感じられない…。
などと言っては言い過ぎだろうか?

     ※

ライカは、もういいや。
と思ってライカを手放したら、スッと身も心も軽くなった。すがすがしい…とさえ感じる。
想定外で、自分自身で驚いた。

ライカは、自分にとって重荷でもあったのだ。
ライカオーナーというセルフイメージに自分は縛られていたのだ。
自分がライカ使い・ライカシンパシーであるという事自体の、心理的な負の側面が次第に大きくなり、遂に追いつかれてしまった…のだ。

(つまり…自分の中にも、「嫌らしいライカ野郎」の一面があった…と気付いたっていうことだ。実際は以前からそれには気づいていたが、昨今急増した成金ライカ野郎の恥ずかしい醜態を見て、それに通じる自分の負の側面が自分の中で急にクローズアップされて、嫌気がさした…ということか)


それらを全て捨てた。
「今、自分は何者でもない!」
なんという自由! なんていう軽やかさ。



(うわあ! まだライカ関連の物が一つ残っていた…www サイクリングキャップ。まあ、これは記念碑として残しておこうかな)
Re: ライカを捨てる - 藤尾
2024/02/24 (Sat) 16:34:44
ライカがダメだと言っているのではありません。
人には様々な生き方がある。さらに、それぞれのライフステージの途上を生きている。
僕も、ライカが自我を支えるアイテムであった時期があった…でも、今は必要なくなった、というだけの話です。(生涯必要な人もいるかもしれないし、ハナからライカ的なモノなど必要ない人も、いることでしょう)
人生に彩り(いろどり)は必要ですし、手助けも必要です。
ライカは単なる「撮影機材」にとどまらず、(安っぽい言い方ですが)かなり良質な夢を与えてくれる魔法のカメラでもあります。
でも、それを持つ人の品性の有無を浮き彫りにする鏡でもある。

ハービー山口がライカを持てば、ライカは周囲の人に「優しい心や多幸感を振り撒く、天使の魔法の杖」になる。
でも、志も品性も矜持も無い人がライカを持つと…周囲の人に悪意を喚起させ、嫌悪・劣等感・被差別感…といった毒を醸成させる「悪魔の杖」になる。
ライカは馬鹿発見器でもある、という訳だ。



ライカの後、カメラはどうするか…
ふふっ…コレにするのさ。
僕は以前、X100初代機を長く使っていた。次第に台頭してきたミラーレス機に取って代わっていったが、本当に良いカメラだった。

またX100に戻るんだ。

https://fujifilm-x.com/ja-jp/stories/x100vi-sam-abell-x-timeless-value/

Re: ライカを捨てる - マリオ
2024/02/25 (Sun) 23:37:46
僕は、カメラの造詣はほぼ素人だ。ライカも朧げに、ドイツ製の優秀なカメラで愛好者が沢山、他のメーカー達と一線を画す、第二次世界大戦時にも連合国側にも愛用され続けた、程度のことしか知らんのだ。しかし、実用〜趣味の道具には、超一流と亜流と雑多と粗悪品が存在する。僕の好きなオートバイでもエレキギターでもだ。歴史の推移や技術の発達や環境規制(これが意外と馬鹿にならない)で新機軸の製品が好まれたり、相対的に歴史的名品の価値が下がったり、有り得ることだなぁ。X100viの創業90周年モデルの購入を推奨するよ。そしてそれで地蔵とか震電の写真を撮りに行こうではないか?
Re: ライカを捨てる - 藤尾
2024/02/28 (Wed) 11:42:08
日本上空で撃墜されたB29の機内から、ライカが出てきたので驚かされた…というのを何かで読んだ。
(バンド オブ ブラザーズで、米兵が独兵のルガー拳銃を戦利品・記念品に欲しがる場面があったが、まあ、ライカも同様に羨望の対象だったというわけだろう)

坂井三郎もライカを使っていたし、当時の海軍の若手パイロットのライカ所有率は意外と高かった。国内で買うばかりでなく、派遣先の東南アジアの都市で買ったり、だったらしい)

     ※

さて、X100Ⅵ 90周年Limited Edition は、世界で1,934台限定だが、 日本国内の割り当て分は、90台だそうだ。(4.7%だ…!)
世界規模の販売台数からすると、日本市場の規模は、その程度という事なのだろう。
X100Ⅵ普通タイプも、そもそも海外では2月末発売だが、日本は3月末とアナウンスされている。
(海外では製品発表と同時に予約受付開始だが、日本ではまだ予約さえ始まっていない。…中国ではすでに76万件以上の予約が入っているのだという。あのクニの場合、多くが転売目的だとしても異常な数だ。月産15,000台なのだから、日本国内ではいつ買えるか、わかったものでない…。膝の裏カックン状態…という気分だwww)

     ※

著名カメラ系ユーチューバーの西田航がこんな動画を出した。しきりと反省と矜持のコメントを述べている。

https://www.youtube.com/watch?v=nR-4EeEmdls&t=10s

本項「ライカを捨てる」を読んでこんな動画を上げたわけでもあるまいが、ちょっとギョッとしてしまった。自分、今回はちょっと言い過ぎたかなと(少しだけ)反省している。(でも本当なんだもーんwww)
西田航ほどの人が、こんなWorld Wide Web の辺境の地にある超絶過疎のサイトを見ているとは思えないので、恐らく、昨今のライカ持ちに関して、僕と同様の感想を抱いている人が多いという事なのだろう。
まあ、西田航はマーケティング思考で戦略的に色々やっている人なので面白くて好きだ。「パリフォト」への参加を目指してストラグルする姿は、しっかり見届けたい…と思う。

ゴジラと時代 - 藤尾
2024/01/22 (Mon) 20:09:12
「ゴジラ -1.0」 やっと観た。古い友人たちに引っ張られるようにして劇場に行ったが、実に面白かった。鑑賞後の意見交換も実に楽しかった。

・1954年のオリジナル・ゴジラは、水爆実験に対する警鐘や危機感、まだ敗戦から遠くない時代だけに空襲の記憶を色濃く秘めた展開であった。
そんな意味で、この映画に秘められた意味や必然性は、当時としては生々しいものがあったであろう。(特撮の円谷は、「そんな事なんか吹き飛ばすほどのモノを作ってやろうと思ってるんだ」と言っているが、その言は逆に、原水爆や戦争の危機感・空襲の記憶を逃れがたく秘めているという事の証明だろう)
オリジナルゴジラという映画に、(特に芦沢博士に)被弾自爆・玉砕・万歳突撃・各種特攻作戦…などまで想起するのは、ちょっと想像を広げすぎろうか? しかし、この映画の公開は、終戦からわずか9年(!)しか経っていないのだ…。空襲で廃墟と化した東京が復活をとげ、繁栄を取り戻し謳歌する日本人への、「あの犠牲を脱ぎ捨てて忘れ去ろうとしているのではあるまいな?」という警鐘としてゴジラが東京を襲う…という物語なのだ。


・対して、2016年の「シン・ゴジラ」は、現代日本政府の災害危機対応の戯画…という感じであったろうか?(震災・原発・地球温暖化・異常気象・ウィルス流行などに対する様々な政府関連機関の対応過程を、ゴジラ出現という現象に仮託して描いて見せる。様々な人間の動きが絡み合って実に面白い作品だった )

     ※

・オリジナルゴジラは、当時の時代感覚や問題意識・社会意識から、生まれるべくして生まれた設定内容・主題の話であった。
シン・ゴジラも、もしかしたら同じことが言えるかもしれない。(現代的な問題としての震災や原発や温暖化やウィルス流行などなどに対する国家機関・様々な人々の反応として)

さて、じゃあ本作ゴジラ-1.0は?本作の背骨って何だろう?
単なるノスタルジー…でもあるまい。(もちろん、そういう観方で充分にかまわない…とも思うが、単なる娯楽作として観て終わりではあまりにももったいないし、「娯楽作として面白かった」で済ませようとすると、何か引っかかるものがある。もっと何かあるはずだぞ、お前が感じないだけだろう…と、私のゴーストが囁く)

     ※

・本作は、「誰かが貧乏くじを引かなきゃならねえんだ…!」という意気と、「主人公の再生の物語(各人の胸の内に熾火のように今もくすぶる、それぞれの「戦争を終わらせる」ための儀式としての対ゴジラ戦)」が挿入されることで、辛うじて映画全体のタガをはめて、作品を成立させている。(それが無かったら、単にゴジラや各種兵器をVFXでドーンと見せる…で、おしまいだ)

・オリジナルゴジラでは、原水爆の恐怖の影がつきまとっている。オリジナルゴジラは、それを踏まえての映画だ。芦沢博士は、自ら開発した「オキシジェンデストロイヤー」を、(原子力のように)戦争の道具に使われる事を恐れた。
「人間なんて弱いものですからねえ。(僕だってどこかの政府にコレを売り渡さないとも限らない→戦争の道具として利用されるのは必定だ)」
そんな自覚を持つ芦沢博士は、その理論・製造方法を知る自らを、ゴジラと伴に葬る道を選ぶ。(米国で原爆開発に携わった科学者の一部が悔恨の念にかられて核兵器廃絶運動を起こしたことをふまえて、芦沢博士は描かれたのだろう)

     ※


本作ゴジラ-1.0での「わだつみ」作戦は、「全員の生還を期す」ことを前提に決行される。先の大戦において、命はあまりにも軽く扱われた。(わだつみとは海神を指すと同時に、先の大戦において太平洋に散華した若者たちを指す…)
本作の主人公たちは、オリジナルゴジラの芦沢博士のように死んだりしない。「決死」ではなく「必死」の外道作戦である特攻作戦から逃げた主人公、ゴジラに襲われる同胞を救うことから逃げた主人公は、最後はゴジラに対して文字通りの必死の(必ず死ぬ)特攻を行う決意をする。それをしなければならないほど主人公は自らを追い詰めている。
・しかし、整備班長の「赦し」を得て、主人公は生きる道を開かれる。
整備班長は、主人公が特攻から逃げて来た時は「まあ、そんなヤツがいてもいいんじゃないか」と思って主人公を容認している。しかし目の前の整備班の仲間を救う行動から逃げた主人公を、決して許すことはできなかった。
しかし、主人公がゴジラに特攻をかける事を知り、主人公に「生きろ」という。(震電に射出座席を準備する)この時、整備班長にとっての戦争はやっと終わりを迎えることができたのだろう。

     ※

・さてさて…。オリジナルゴジラとシン・ゴジラが作られた時代的意義については想像することができた。では、本作ゴジラ-1.0が現代に作られる意義とは何なんだろう?
コスパ重視という現代の風潮に対するアンチテーゼか?まさか…。
オリジナルゴジラの再解釈を、現代の感覚で行い、再構築するとこうなる…ということか?
まあ、その答えみたいなモノは、時間が経ったある時に、ふと気づくのかもしれない。




(以下は蛇足)

・オリジナルゴジラを大切に参照し、直近作のシン・ゴジラを意識し、興行的に成功させる使命を背負い、様々な制約の上で作らなければならず、さぞ大変だったろう。
とにかく、充分に面白い作品だった。登場するメカを興奮して観ることができただけでも、もちろん大収穫だったろう。
・今回の「ゴジラ -1.0」は、何よりミリオタとしては、軍艦・戦車・戦闘機の再現や動きが、それだけでも充分に興味深く楽しめた。
戦闘機が「震電」であったのは、爆装とか何とかいろいろ理由付けをしていたけれど、単純・純粋に「華」があって絵としてカッコ良かった。「雪風」「高雄」を登場させたのも嬉しいポイントだ。
(高雄は登場後あっという間にやられてしまったが)。オリジナルゴジラでは米軍から供与されたM24軽戦車、シン・ゴジラでは10式戦車、本作では4式中戦車と、時代ごとの役者として秀逸だった。
・話の構成の方は、ちょっとベタな人情劇に重点が置かれすぎじゃあなかったかな?(ミリオタ以外の)幅広い集客のためには「家族劇」を挿入する必要があったんだろうが。(そういう視点でみると、オリジナルゴジラは話の重点配分が見事だ。ただ、現代的な目で見ると意外とコジンマリとした作りの映画だが)





(蛇足その2)
・ブルー・オイスター・カルトが来日して中野サンプラザで公演した時の目玉の一つは、彼らの曲「ゴジラ」に合わせて、ステージ上にレーザー光で「3Dゴジラ」を出現させる…というものであった。
「ゴジラ」は、間奏の間に「リンジニュースヲモウシアゲマス。リンジニュースヲモウシアゲマス。ゴジラガ、ギンザホウメンニ ジョウリクシマシタ。ダイシキュウ ヒナンシテクダサイ、ダイシキュウヒナンシテクダサイ!」と、カタコト日本語で言うのが御愛嬌の名曲だ。
ところが当日、
「機械の故障で今日はゴジラを出現させられないんだ、ごめんよ」
と言うのだった。観客から落胆のため息が漏れると、
「お詫びに、好きな曲を一曲やるよ、何がいい?」
僕は間髪を入れず「Astronomy!」と叫んだのだが、彼らの演奏したのは違う曲だった…。という思い出がある。
ともあれ、オリジナル「ゴジラ」は、それほどまでに米国でもカルト的に人気があったのだ。

・シン・ゴジラは海外ではうけなかったという。まあ、アレは日本国内でしか面白がられない構造なのだから当然だろう。対して、本作は海外でもウケているという。純粋に迫力があるし家族ドラマも描かれ幅広い味わい方があるからだろう。

(↓ 写真…大昔に作った1/72震電。バラしかけの震電を進駐してきた米軍から完成形に戻すよう命じられて組み直した時の姿。あり合わせの部材や外板を使ったため未塗装の箇所がある)
Re: ゴジラと時代 - マリオ
2024/02/17 (Sat) 23:32:37
ゴジラは、平成以降、多分全部観ている。シン・ゴジラは千葉県の友人に勧められて、「まぁ良かった」って程度、、石原さとみが可愛いなぁ。英語の台詞が見事とか、本編はFinal CutってMacのソフトで作ったとかなんとか?の話題を覚えている。
中学時代の多感な頃、何故か、「きけわだつみのこえ」を収録した文学全集を持っていたがとうとう読まずじまいで「きけわだつみのこえ」は心の中に澱の様に残っていた。ここで「三丁目の夕日」の渾名・文学が(分かる人に分かれば良い)今度はインテリ系列の科学者として登場し、このゴジラ退治にわだつみ作戦を提案・実践する。
戦没学徒の遺稿集たる「きけわだつみのこえ」には本のタイトルに応募した方の「嘆けるか怒れるかはたもだせるか聴け果てしなき海神の聲」なる短歌が添付されている。古語なので現代語訳すると「嘆くのか?怒るのか?また黙るのか?聴け戦没学徒=海神の声」と言うことだろう。海軍軍人を父に持つ小生としては心揺さぶられる思いだ。
さて、本編の見処は藤尾君の指摘通りで、色々な世代・地域で見ても楽しめるし人間ドラマの描き方もツボを得ている。恥ずかしいのでどこが気に入ったかは書かないことにする。
僕は彼ほど哲学的な洞察もできないし、戦記物や兵器観てミーハー的に飛びつく節操ないミリオタだ。しかし乍ら、実践配備されなかった「B-29専用迎撃機」と言って良い本機に物凄い愛着を隠せない。と、思ったら本邦には震電ファンはたくさんいるそうだ。←分かる気がする。
アメリカのレシプロ戦闘機並みの2100馬力級のハ43発動機による6枚ペラの前翼型戦闘機は、機種に30mm機関砲4挺を搭載、、銃の前方にプロペラがないので気兼ねなく?撃てるが、薬莢を空中投棄すると自分のプロペラに当たって大変とのことで、、回収する仕様だなんて初めて知りました。この実物大模型が大刀洗に展示してあるそうなので是非観に行きましょう。
Re: ゴジラと時代 - 藤尾
2024/02/23 (Fri) 15:04:23
「きけわだつみのこえ」マリオ氏が持っていたの、覚えている。キミの家で見た。
太刀洗、凄いな。震電は、背の高さが迫力だ。実物大模型、さぞかし凄いだろう。
今はちょっと自信がない。でも見に行くことは、旗として掲げていたい。

ワレ ヒダン ス

セントウキ アリガトウ
セントウキ ゴエイ アリガトウ



Re: ゴジラと時代 - マリオ
2024/02/26 (Mon) 00:44:26
http://tachiarai-heiwa.jp/wp-content/uploads/2023/11/c50600f11e8a7fc4c83f1bf6ee73ebac.jpg
震電の実物大模型は、本年3/20まで大刀洗平和記念館で展示さるそうだ。何とも異形の戦闘機だが、レシプロ→ジェットの過渡期に登場した(してない?)先人の労苦偲ばる大作で、何故か多くの人が心を惹かれる。特に排気タービンの鋳造は平成の世になっても難易度の高い物で、単に技術者の端くれとして素直に敬意を表したい。これはポップ・ヨシムラも故・本田宗一郎も述べていた。
物資不足の昭和19年頃の設計と聞くが、エンテ翼のプッシャー型大馬力戦闘機には、正に「回天」=天を回す≒奇跡を起こす位の呼称を与えたかったに違いない。命名規則により陸軍の局地・夜間戦闘機(乙戦闘機)は、雷・電気系の名称なので「震電」とされた。しかし現代の気象庁の定義集や理科の教科書には「震電」なる現象の解説はない。恐らく「辺りを震わす(蹴散らす)雷光・電光」即ちBoeing B-29 Superfortress(香淳皇后陛下は終戦の年の日記に「B-29による爆撃の編隊飛行が立派」と記している)を追い払う閃光のような能力と活躍を期待したんだろうなぁ。
その火力=30mmX4門←こりゃすげぇよ、上昇限度=12,000m←明らかに9,100m程度の高空を進行するB-29の上からの攻撃も予定している、最高速度=400ノット←B-29の最高速より30ノット速い・つまり一撃高速離脱をによる反復攻撃を考えている(B-29は防御火器仕様類別過多で一言で書けないが、制式機体は5箇所に火器を持ち、12.7mm機銃または20mm機関砲で武装するハリネズミみたいな爆撃機だ)んだろうなぁ。
この震電でゴジラを東京湾に誘導し最後は自爆する行(くだり)は、本当に素晴らしかったし、恐らく同盟国のドイツから供給されたドイツ製の操縦席脱出装置には戦後の反省に基づく(映画の中でもその悔悟の台詞が登場する)人道主義が感じられて、復興期の日本人に快哉を叫びたくなる。
ヒルコ雑感 - 藤尾
2024/02/04 (Sun) 23:02:28
ヒルコはその不完全さゆえに海に流された。しかしある日、ヒルコは葦舟に乗って海の彼方から帰還する。エビスとして。エビスはスクナヒコナと同神であり、彼はオオクニヌシの前に現れる。スクナヒコナは要所でオオクニヌシに様々な知恵を授けて助ける。力持ちだが不器用なオオクニヌシは、小さなスクナヒコナの助けによって事を成し遂げてゆく。
これはどういう含意であろうか? 捨てられた子が戻って来て、手助けしてくれる?
ヒルコとは昼子であり昼の神でもあるという。太陽は海に沈み、朝に海から上り復活する。
海に流され「夜の航海」を経たヒルコは、苦悩の内に様々な気づきの末、知恵を身に着けた。そしてオオクニヌシに助言するほどの役割を担う者となった。
青虫は蛹の中で一度溶けて、蝶になる。自身の不完全さの自覚とは、自分自身との邂逅であり、それを経て(或いはそれを起点として)初めて他者や外界を知ることができる。

この話は、様々な者の存在に耳を傾ける重要さの謂いなのか?  苦悩と自己への沈潜の重要性を説いているのではないか? 多様性の重要さか? 不遇の時代を雌伏の時として時の至るのを待つという事か?

しかし、スクナヒコナは概ね事を為し終えると、静かに去って行く…。これは…?一隅を照らすということか? 自らの役割を知る…という事か? 無名の人々こそがクニを支えているということか?
クニがあっての人々…なのか? 人々があってのクニなのか…? それは切り口によって、視点によって答えが変わるので一概に言えない。少なくとも、どちらかの方が重要・上位と断言できるものではないはずだ。もし、極端にそれを言う者がいたら、それは要注意人物…いや、危険人物だ。主語の大小にかかわらず、中庸が肝要だろう。

昼の神(昼の子)であるヒルコは、太陽神であるアマテラスの裏面でもある。女神であるアマテラスの裏面としての男神ヒルコ、表裏ということだ。敷衍すれば、表面であるアマテラスが意識領域である「自我」、裏面であるヒルコが無意識領域である「自己」と考えると面白い。過剰な自我活動で行き詰まった時、無意識領域への沈潜を経て再生し、活路を見出す…(まさに、オオクニヌシにアドバイスして助けるヒルコだ。だから役割を終えたスクナヒコナは静かに姿を消す)。少々感傷的に過ぎるだろうか?
しかし同時に、ヒルコは人の血を吸う忌まわしい蛭の子でもある。人の裏面・無意識領域は、そんな危険や邪悪、後ろ暗さを秘めている。
だが、自我は実は常に無意識領域からの力によって駆動されても、いる。欲望、欲動、情動…として。人が生きてゆく上で、常に危うさを孕んでいる事は、ともすると忘れがちだ。ヒルコは、誰の胸の内にも生きている。
意味と幻想 - 藤尾
2023/12/03 (Sun) 11:09:36
この世は、言うまでもなくクソだ。自身の肉体に依拠して生きなければならない。

この世は、まぎれもなくクソだ。自身の能力と性格をもって生きなければならない。

この世は、逃れようもなくクソだ。生まれ落ちた時代、社会、境遇を生きなければならない。

とても生きるに値しないと思っても生きなければならないのが、救いようもなくクソだ。

まあ、自我がそんなふうに思っても、ヒトは本能によって駆動されているので、生きてしまう。腹が減れば食ってしまい、貨幣経済社会を生きるために働いてしまう。

で、生きてしまっていると、自我は存続のために何かしらの自己肯定を捏造してしまう。他者に対する自己の優越を捏造してまでして自我を支えようとする。

他方、本能も生存のためのプログラムに従って、何かしらの快の脳内物質を放出する。空は美しく、メシは旨く、異性は魅力的だという情動が発動される。

なんてこった!
こんな仕組みで今日もニコニコ生きてしまう。こんなチープトリック・安仕掛けで…。
生きる「意味」などハナから無いのにそれを自ら捏造し、生きるに「値する」社会や人生という幻想が提示される。

まあいい。
そういう事なのだ。あらがう必要もない。ただ、「意味」や「関係性幻想」は自分の中にある事を忘れずにおいて、バランスを保ってゆけばよいのだろう。諸行無常で色即是空で一切皆空なのだ。
今日もバカ空の下、クソッタレ大地を踏んで、日常のどぶ川を渡ってゆくのだ。
SNSに写真をUPする理由(その2) - 藤尾
2023/11/26 (Sun) 14:01:16
「自分は有名になりたいワケでもないし、イイねが欲しいワケでもない…と言いながら(SNSに)写真をUPするっていうのに違和感を覚える」という発言や書き込みに、あちこちで実に多く出くわす。
まあ、そう思う人もいるんでしょうね。
でも、写真をSNSにUPするのって、その人の年齢、ライフステージ、性格傾向、その人にとっての写真というものの位置づけ、その人にとってのSNSの位置づけや目的…等々によって、様々だと思うんですよね。
何らかの内的欲求に基づいて写真を撮る。各人各様の内的欲求によってSNSを用いる。でも、その内的欲求は、なにもギラギラした向日性や向上心に満ちたモノばかりとは限らない。ごく控えめな日常的な自我活動の一つでしかない…という場合も人によってはあるわけです。

そこらへんが見逃されている…というか、冒頭のような活力のあるギラギラした人たちからは見えないんじゃあないか?と思わざるを得ない。

     ※

人生途上、まだまだ社会的自己を充実させてゆくんだ…という現役バリバリの活力に満ちた人は、冒頭のように思うのは自然な事でしょう。
他方、ライフステージ上、それとは違う人や、性格上ハナからそうは思わない人は、「有名になりたいワケでもないし、イイねが欲しいワケでもない」のに、SNSに写真や文章を上げるのは実に自然な行為としてあるわけです。
そんな控えめな人がSNSに写真をUPするる理由。
結局なんだかんだ言って、ヒトの自我って、他者との関係や、(自分が属すると自己規定した)社会における自分の位置づけ、によって構築されるわけです。現代社会においては、SNSは極々自然に自分が属する社会の一つです。だから、誰かから評価を受ける事を特に期待してなくても、自我の構成上、SNSに写真や文章を上げる。それは生きている限り呼吸するのと同じくらい自然な行為。
そんだけ。

確かに、なかには「失敗を恐れる、カッコを付ける、欲望を抑えている、ワンチャンうまくいけばいいな」とかいう理由や前もっての言い訳エクスキューズとして「自分は有名になりたいワケでもないし、イイねが欲しいワケでもない」…と言いながらSNSに写真や文章ををUPする人もいると思います。
でも、それはそれでイイと思います。
向上心や向日性を持った人からすれば、「何だコイツ?!」と違和感を覚えることになるのでしょうが。

でもその人は、そういうライフステージ途上にいたり、そういう性格傾向なわけです。そんな人の尻を叩いて、それじゃあダメだ、と言っていただくのは、ある意味大いにありがたい事です。でも同時に、大きなお世話です。そんな事言われなくても、本人が気づくときは気づきます。もっと言うと、本人自身が内発的な気づきを得なければ、人間、何も変わりません。(クローズドな会やサイトに本人が求めて入って来た場合は、そこで聞く箴言は有効でしょうが、一般的な場では反発を招くだけでしょう)
写真撮影の技術的なアドバイスとかと、他者の生き方の問題点に言及するのは、隔絶した次元の違う話です。…撮影行為に関する態度姿勢にまで言及せざるえない…という場合があるのも、ものすごく良くわかります。そこらへんは難しいですね。それは、自身を有言実行で見せてゆくしかないのではないでしょうか。



さて、SNSに写真をUPするのは、なにも「他者からの評価を期待して」というばかりではない。自分自身の楽しみのためという場合もある。SNSは自分が属する社会の一つだと(無意識裡に)自己規定している人にとって、SNSにUPする事は、自我を補完するという、呼吸をするのと同じくらい自然な行為でしかない。
ただ、「自分は有名になりたいワケでもないしイイねが欲しいワケでもない」と言いながらSNSに写真をUPする人の中には、「 失敗を恐れる、カッコを付ける、欲望を抑えている、ワンチャンうまくいけばいいな」とかいう理由や前もっての言い訳エクスキューズとして言っている人も、もちろんいる。
でも、そんな人に「違和感を覚える」と言っても、ただただ反発を招くだけですよ。もしそんな人に向かって何事かを言いたいのであれば、ただただ有言実行で自分を見せてゆくだけなんじゃあないでしょうか…という話でした。
「いいね」の付かないインスタ - 藤尾
2023/11/04 (Sat) 20:12:19
僕はweb上で複数のアレコレを運営している。
・インスタ(2アカウント)
・ツイッター(おっと、X)
・スレッズ
・ブログ(掲示板)
・ホームページ(2つ)
昔はもっとあった時もあるが今はこのぐらいか。でもホームページは今は書き込み・更新していない。今のをまとめて、自分自身の大切な文章や重要な位置づけの写真をまとめたホームページを新設しようかとも思うが、ものすごいエネルギーが必要で、頓挫したままだ。

     ※

インスタやXは、写真中心だが、それぞれ使い分けがある。

・インスタその1は、石仏写真ばかり。石仏愛好家は限られた狭い世界で、それらの固定客がいて30前後のいいねがコンスタントに付く。たまに風景写真としても秀逸な写真には70ぐらい付く。

・Xはやはり写真中心だが被写体の幅は広い。特に、写真に文章を添えたい場合はインスタではなくXにする。いいねは、ほぼ付かないが、閲覧数は内容によっては千を超える場合もある。

・スレッズは模索中。写真関連のアカウントが多数登場し、長文を添えたものが多いのが面白い。投稿者それぞれの自分語り、自分の写真に取り組む姿勢についての語りが多く、まったりと落ち着いた雰囲気が(今のところ)イイ感じだ。この、皆の長文の「自分語り」が嫌らしくなくイイ感じなのは、なぜなんだろう?  Xがなにかと誹謗中傷合戦の嵐が吹き荒れがちなのに比べて、スレッズは(今のところ)平和で、気づきや、振り返って自分の励みにもなる書き込みが多く、重心をXからこっちに移そうかなとも思う。投稿した写真の長辺がカットされないのも嬉しい。

・そしてインスタその2。日々のスナップショットをひたすらupしている。(スナップって、街中で他人のファッションとかを撮るヤツじゃあないよ、伝統的な、街角の情景とかを撮るストリートスナップシューティングだよ)これには、いいねは全く付かない。ゼロ。珍しくたまに付いたかと思うと、海外のツリアカウントだったりする…ので、実質ゼロだ。

     ※

これら自分自身のモノの中で、僕が最も好きで自分で一番よく観ているのは、インスタその2だ。いいねが全く付かない。でも一番熱心に毎日のように写真をupし、よく観返して楽しんでいる。
誰かから評価を得ることは期待していない。ただし不特定多数の誰かから観られる事は意識している。でも、その「誰か」の最も主要な人物は、僕自身だ。後で、自分が観ることを意識して毎日写真を撮り、ほぼ毎日upし、毎日何度も観て喜ぶ。自分が自分のために撮る写真…。
誰か他者に何かを伝えたいとか、何かを表現したいとか、撮影技法の先端を極めたいとか…いう気は、全然ない。
ただただ、撮る事が、撮影行為が楽しい。そして、自分の撮った写真を観ることが楽しい。

何が悪い?

それほど「自分のため」なのであれば、なぜ、わざわざweb上に公開するのか?それは、自我が他者との関係によって構築されているからだ。自我が(自分が属すると自己規定した)社会での位置づけにおいてのみ構築されるからだ。自我の構成上、極めて普通の行為だ。

     ※

さて、でも、実は、自分にとって本当に大切な写真は公開せずに、HDやSSDに保存され、たまにそっと観るだけ…という写真がある。
webに公開している写真と、そんな秘蔵写真との違いは何だろう。もちろん、僕自身のプライベートな写真はweb上なんかには公開しない。そうじゃあなくって、公開しているのと同様、プライベートとは関係ない、公表しても何ら問題のない写真なのに、UPしない写真がある。
これは…、本当に自分にとって大切で、自分の思い出や想いに深く直結していて、ほとんど「自分自身の自我を構成する重要アイテム」となっている写真…(あまりにも素晴らしかった場面や体験の記憶と不可分な写真)だから、だろう。
それ(その写真)は、ほとんど「自分自身そのもの」なのだ。



写真や文章をweb上にUPするのは、ある意味、自我を構築する「外界」「外的現実」に自分を表出して、(実際の反応の有る無しに関わらず)その反射を得るという形式を踏んで、自我を支えるアイテムとしての役割を期待する…という試みであろう。

そして、公開しない写真は、自我の中で反芻して上記と同じ事(自我の構築と強化)をしているのだろう。そしてそれ(公開しない大切な写真)は、もう外界に反射させる必要がないほど、自分そのものに同化している。
(公開する何らかの理由や動機があれば公開することも可能だが、通常はその必要はない)


例えば、僕は京都・奈良の地蔵盆の夜祭を何度も訪れて膨大な写真を撮っている。そこでの、その旅での自分自身の体験と、それらの写真は、胸の内で深く結びついて、狂おしい程に愛しい写真ばかりだ。だから、
「こんなのが撮れたよ」
と、webで世間・社会・外界に見せる(公開する)必要がない。(そんなレベルをはるかに超えている)。他者・社会に対してそれ(その写真)を示して、自己の優越を捏造しようとする企てのネタにする必要もないし、そのための写真ではない。(インスタでいいねを狙うとかコンテストに出すとかいう気は、まるで起きない)
「表現者」として、他者・社会にその写真を公開して、何事かを表現して見せる…という必要もない。(幸いにも僕は「表現者」という自己規定は無いから。思えば、作家とか芸術家とか表現者とか…というのは、シンドイ自己規定だなあ…と思う。自身の切り売りに近いのではないか?何という業の深い険しい道…!)

     ※

インスタその2は、そこまで自分自身と深く・強く結びついたものではないが、かといって、それをネタに自己承認を上げようというものでもない。
毎日気軽にどんどん無節操に撮って、どんどんUPして、自分で観て楽しむ。それだけ。
ものすごくイイ立ち位置の存在だ。そして、撮れば撮るほど外界を写真フレームに切り取る視線は洗練というか先鋭化されてゆくのを感じる。普段は、世界を見ているようで観ていないのだ、と気づかされる。毎日発見がある。この世は、未発見の光景ばかりなのに、僕が気づかずにいるだけなんだろう。
Re: 「いいね」の付かないインスタ - 藤尾
2023/11/05 (Sun) 19:20:24
え〜、補足と申しますか注釈。

あんまり若いうちは、上記のような考え方・態度姿勢だとよろしくないです。自分に閉じ過ぎていて、偏狭で排他的になってしまいます。
他者・外界に向けて開いた、柔軟に学ぶ姿勢が人を大きくします。時に挑戦的な態度ぐらいで良いと思います。

僕はもういい加減長く生きて、人生の終わりが見えているというライフステージだから、もう自分の楽しみのためだけに写真を撮りたい…誰かとの比較とか、誰かより優位に立ちたいとか、もう、どうでもいいんです。
本を読んでも写真を撮っても、まだまだ学びとか気づきとかはあるし、いまだ成長していると感じます。でも「他者に対する優位を目指す」…というのは、本当に無くなった。

そーゆーことで。
Re: 「いいね」の付かないインスタ - 藤尾
2023/11/06 (Mon) 13:25:07
写真って、やっぱりプリントだよなあ…と感じる。
物理的に存在して、独特の質感や精細感を持ち、深みという意味でモニターで見る写真とは別物。本物…という感じ。表示する機器もバッテリーも不要で、どこにでも置ける。
確かにモニターの光は美しく透き通るかのようだ。それはそれで魅力的なのだけれど、こんな重要な思い出の写真は、プリント・紙焼きが相応しいなあ。
プリントは情報量が違う。モニター画面で観るのとは違う精細感・諧調感。透過光とは違う反射光の存在感。

地蔵盆のこの旅は、余りにも感動が深く、下記のプリントは、PX-5Vで和紙にプリントしたもの。本棚に飾って、ある意味僕の聖域となっている(w)この写真はいろんなサイズで、いろんな紙にプリントしている。
なかでも「フレスコジグレー」にプリントしたモノは別格の存在感。深い黒とハイライト部の透明感が素晴らしい。凄い重厚感。フレスコ画と同じ技法で漆喰にインクが浸透し、耐光性も優れている。あ~、プリントって良いですねえ、という感じ。

(それはソレとして、この↓本棚に飾っている光景の写真を撮ったのは、iPhone14 ProMaxのカメラ。手持ち自然光でサクッと撮れる…ホワイトバランスといい露出といい解像感といい諧調といい、これはコレでナニゲに凄い安定感の超絶高性能…。是非クリックで拡大してご覧くださいwww写真って幅広いですね)

(上)京都 嵯峨・愛宕古道街道灯し
(下)奈良 元興寺・地蔵会万灯供養
芸術の秋というか文化の日に寄せてw - 藤尾
2023/11/03 (Fri) 20:13:38
絵画などの美術作品は、その時代時代における表現方法や新規性や込められた意味や当時の観方を理解することによって、それらを総合的にに楽しむ…という鑑賞方法が王道だろう。

でも、それとは関係なく、その作品を観て、美しいとかカッコいいとか感動的だとか胸を打たれるとかそういう好き嫌いや直感的な情動の動きで観てゆく…という鑑賞方法もある、っていうか、多くの場合、そうやって美術作品を観ているんじゃあないか?
そんなプリミティブな好き嫌いとかキレイだとかといった直感をベースとしながら、その上に、その作品の技法や歴史的意義とかを掘り下げてゆくと、さらに理解や好感が深くなってゆく…というのが楽しい鑑賞につながるだろう。


現代アートが、ひたすら「わからない」のは、上記のような好悪・美醜といった直感的な感覚で接近することを拒否し跳ね返しさえするからだろう。
まさに現代アートの文脈を理解していなかったら、「何だこりゃ」という感じで、まるでわからない。文脈理解一本鎗…だけを追求したようなモノで、キレイだとかカッコいいだとかいう直感的で情緒的な喜びを、一種下等な鑑賞態度だと見下す潜在意識が込められているんじゃあないかと勘ぐりたくなる。
本当は現代アートに限らず美術史全体を通しても、歴史的位置づけを意識しながら観てこそ理解が深まるのだが、そんな事抜きにして、「単に美しい・カッコいいだけ」でも充分に鑑賞できるのに、現代アートは、それを許さない。


でも案外、絵画でも立体でも、「抽象作品」って観ていて何だかイイ感じだったりジワジワ来たりする事がある(場合もある)。超巨大な画面全体が、バーっとただ赤い…とかいうのも、(その作品の美術史的文脈は知らずとも)何だかジワジワ来て見続けてしまう…という事がある。それはそれで、そういう鑑賞態度でもいいんでしょうか?
(例えば、画面全体を赤とかで塗りつぶしたマーク・ロスコが、「人間の基本的感情を描いている…」と言ったように)
(でも、デュシャンの便器に、情動的な興感は湧かないけれどwww。コレなんか、ほんと美術史的文脈だけ)


さて、特に「現代写真」とかいうものは、本当にわからない。何を写しているのかまるでわからなかったり、どうでもいいようなモノが写っていたり。どう観ていいのかまるでわからない。ぼんやり観ていても何も感じない。しかし、それは写っている「被写体」を観るのではなく、「表現方法」の新しさを鑑賞するものなのだ…などと言われてしまう。面白くもなんともない写真がバーっとあって、それぞれの写真に意味や美しさを見出すのではなく、それ全体としての世界…を感じるのだ(隠された意味があるのだ)とか。ふえー。
確かに、何だかわからない退屈な写真の羅列を、「全体として、こんなまとまりがあるんだよ」…と言われて、おお!となる事もある。でもそれを知らなかったら、まるで情動に・知的関心に引っかからない。


さて、ここまで書いてフと思ったのは、オールドレンズ趣味もこの問題に近い場合もあるのではないか、と。描写の緩さやダメさを愛しむ。レンズの歴史的意義に意味を見出す。レンズ構成を寿ぐ。レンズの外観の美しさや機構の精密さや時代なりの特徴…を喜ぶ。
オールドレンズで撮った写真の、「内容」とか「意味」とか「技法」とか全部無関係に、ただただレンズのボケ味とか諧調表現とか残存収差による画像の特徴…いった「描写傾向」を楽しむ…という方向にいきがちになる。
こういった楽しみって、わからないヒトにはまるでわからないわけで。
思えばオーディオも、音楽をより豊かに楽しむためとか、原音再生を目指して…とはまるで別に、音の鳴り方とか分離とかばっかり気にして、それ自体を楽しむとか。


何だかわからない現代アートも、これらと似ている…と?
だとしたら、極めて狭い視野のニッチな楽しみと言わざるを得ない。まあ、わかる人がわかればいいっていうモノなんだろうから、それで良しというモノなんだろうけれど。


文化の日ということで、ちょっと殴り書きしてみましたwww