過剰な何か

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還暦 - マリオ
2018/08/13 (Mon) 21:31:39
もうまもなく還暦を迎える。藤尾くんとは幼少時から親切にして頂いてキチンとお礼も言ったことがないが、改めて友人になってくれてありがとうございます。
Re: 還暦 - 藤尾
2018/08/14 (Tue) 22:14:45
とんでもない、こちらこそありがとうございます。
偏狭で独善的な自分にお付き合いいただき、うれしくありがたく思っております。


人間は、第二次性徴期を迎える前に一旦、ほぼ、その個人の人格の完成を見ると言われています。
日本人でいえば、小学校高学年から中学に入る頃がそれにあたるでしょう。(オラとマリオ氏が出会った頃です)
なぜ「一旦」かというと、そこまでは生得的な遺伝情報の発現の結果として、各個人の性格傾向が現れ、まあ、純粋な意味でのその人なりの有り様が出来上がる時期だからです。
しかし、その後の思春期においては、自我意識の発達を受けて、社会環境における自己の位置づけを加味しつつ、自己規定の構築を中心に、自我の再構築という心的作業が行われ、子供時代とは一線を画した自分が確立されてゆきます。

(でも、年齢を経て今に至ると、結局第二次性徴期前の自分はそのまま生き続け、今も自分自身の中に居るのを感じますし、他者をみても、そのように感じます)



こないだ電車に乗っていたら、隣にいた高校一年生くらいの男子連中が、
「俺は○○(女子の名前)とは、まだそんな本格的に付き合うとかできないな」
「へえ、なんで」
「いや、俺は付き合うとなれば結婚前提じゃないと、と思うから」
「え、そうかよ、良いなと思う子と楽しい時間を過ごす、とかいうだけでいいじゃん」
「や、そういうことではないと思う」
などと大真面目に会話しているのを聞いて、大いに懐かしいような気分になりました。
若いって素晴らしいですね、何か、おお、おまえら頑張れ、みたいな感じで涙出そうになりました。


話を戻して小学校終盤から中学のはじめ頃、僕は何か文章を書きたくて書きたくて仕方ありませんでした。当時、クラス内は6人ぐらいの班に分割されてHR.活動なんかをしていましたが、その班内連絡事項なんかを書く「班ノート」に、僕は無闇に長い文章で必要なこと、無用なことを書くので、学級担任の先生が驚いてというか心配して
「藤尾クンは、なにか、わだかまりでもあるのかい?」などと真顔で聞いてきて、かえってこっちが驚いたことがあります。ただ中身はともかく文章が書きたかっただけだったと思います。
この、とにかく書きたいという衝動が、TBSラジオの真理子産業株式会社に数十回も投稿して(内容がまるでないので)一度も採用されず、結局、「たくさん投稿ありがとう」ということで名誉社員(笑)とかいって便箋封筒セットをもらうという顛末になったのが、懐かしく思い出されますw

実際、当時、よし、小説を書いてやれ、と思い立って、ノートに向かって鉛筆を握ったものの、一行も書けないことに、自分自身で驚いた、ということがありました。

さて、それから数十年。馬齢を重ねて様々な情報やら経験なりを得て、何かが書けるようになったのか、というと、結局、あの「班ノート」と同じでしかない。先生から心配されるような無内容な文章が延々と羅列されるだけ。
まあ、これが自分というモノなんでしょう。この程度の素質、能力でしかないのだ、と。


僕にとっての写真もそうです。小6の時と中一の時、(まさに本項冒頭の説のとおり、第二次性徴期直前の頃、一応の人格の完成期に、というのが象徴的です)市主催の市民写真展で賞をとりましたが、今思うと実にレベルが低い。で、結局今も僕の写真は同じようなレベルです。

さて、でも今は、それで良いんだと思っています。
ダラダラと文章を書くのも、自己満足なだけの写真を撮り続けるのも、誰かからやれといわれたものではなく、自発的、内発的な欲求に基づいてやっているのであり、自分なりの探求を続けているからです。
(今後は、また絵を描き始めたい。立体塗り絵であるプラモデルを再開する計画は徐々に着手しつつある。飛行機、オートバイを中心に作ってゆく。戦記物を更に幅広く読みたい。太平洋戦争に至る経緯を左右幅広い見地から検証したい。禅を自分なりに深耕したい…)


さて、雇用継続を延長し続けたとしても、会社員生活は終わりが見えてきました。
逃げの姿勢にはならず、役割は最後までしっかりと勤め上げたいと思います。

今日はありがとう。
また書き込み、反応、よろしくお願いします。
ともすると独善に陥りがちなオラに、喝を入れてやってください。
Re: 還暦 - マリオ
2018/08/14 (Tue) 23:50:05
麻梨子産業(株)には沢山の投稿してましたね。駄案多く全部不採用で、、、封筒が勿体なくハトロン紙の事務用封筒で投函していましたね。
曰く、減ると色の変わるタイヤとか荒唐無稽なアイデアが多かった。でもある日、投稿数で準員に登用されたのを放送で聴き嬉しく思いました。
後日、同級生(だが、別の中学)の友人とアマ無で知り合い、所用あり書状頂いた処、同産業の社用箋に認められていて「あ、こいつは正社員なんだな?」と知りました。この彼はその数十年後、昭和の終わりにGr会社に居る処オハイオ州の出張先で再開しました。
麻梨子産業(株)のテーマ曲は、、何となく大瀧詠一が関わっていたかもしれませんね。
Re: 還暦 - 藤尾
2018/08/16 (Thu) 22:40:12
ああ…サイダーの曲(各種)が、グルグルと頭の中を回り続けるw

思えば、当時はラジオが隆盛を極めた時代であった。

野沢那智のパックインミュージックが一番好きだったが、聴取者の投稿がハイレベルで秀逸ぞろいで、オラの当時の文章レベルなんぞでは、とてもじゃないが投稿できなかった。ただ、イラストを画いた葉書が、同番組の投稿を集めた本に丸々1ページのデカさで掲載されたのは唯一の成果であったよ。

「あなたのレモン、落合恵子です(ハートマーク)」とか、川島なお美のセイヤングあたりは、彼女らのあまりの自意識過剰さに、当時でもゾクゾクと気恥ずかしくて、それでも聞かずにはいられない魅力を放っていたのは、まさに彼女らが若かりし頃からある種の魔女だったからであろう。

まあ、そういった大型番組だけでなく、15分、30分枠の小さな番組でも、当時は素晴らしい才能や、目を見張らされるような企画、地味だが吸い寄せられるように聞き入ってしまう番組が多かったように思う。
まあ、それは当時の時代の持つ雰囲気と、自分らが青年期であったことがシンクロして、それらの魅力に共鳴したからなのであろう。

まだインターネットなど存在せず、TVも家庭の居間にあるだけ、という環境も大きかったであろう。
まさに、隔世の感だ。

Re: 還暦 - マリオ
2018/09/16 (Sun) 16:52:06
大瀧詠一氏の筆による曲は「馬場こずえの深夜営業」でした。麻梨子産業はだれの曲だったかなぁ?
ネットで丹念に調べれば分かるかもしれないが個人のチカラで調べられない(かつどうでもいい事は)記憶の彼方で良いだろう。
こうして歴史の1ページに記録され記憶には止まらない沢山の史実も、それはそれで良かろう。
だって地球上には、未だに、遺骨も回収されない沢山の兵隊さんがいらっしゃるのだから、、
Re: 還暦 - 藤尾
2018/09/17 (Mon) 22:35:09
ばばば、馬場こずえ…、懐かしい。とにかく雰囲気の良い、頭の良い人だった。

     ※

さて、ところで、オラの長男に男子誕生で、これで文字通りオラもジジイになったのだ。
ヲタの子はヲタになるのだ。
オラもヲタだが、オラの嫁もヲタだ。で、当然オラの子もヲタだ。
オラの嫁は乗り鉄で撮り鉄だが、その薫陶を受けたというわけでもなく、ごく自然に子も乗り鉄になった。そして、子はヲタが高じて、今は電車の運転手だ。
オラは今はカメオタであるが、以前は(今も少し)ミリオタだ。で、子も知らぬうちにミリオタになっていた。
ミリオタと一言で言っても専門分野が多岐にわたるが、奴の主たる専門分野は(なぜか)海自だ。日本のあちこちの海自基地とかに、電車に乗って見学に行く。鉄オタとミリオタを一挙に楽しむ、一粒で二度おいしい、何と素晴らしいヲタライフ!

そして、こいつの子(オラの孫)の名前の候補は、まだ未定だが、日本海軍に関連する名前になりそうだという! どっひゃあ-!という感じ!
オラは親譲りの糞リベラルだが、日本防衛「軍」保持論者でもある。そんなオラでも、世代的な雰囲気・気分として、大日本帝国海軍に関連する(由来する)命名というのは、一瞬、のけ反るのだが、オラの子の世代的な雰囲気としては、特段違和感は無いようだ。
奴は、オラ世代の持つ(先の大戦に関する)妙なアレルギーが無い、ということなのかもしれない。これは、ある意味自然体で羨ましくもある。オラなんかの歴史観は、無意識のうちに極東国際軍事裁判(東京裁判)史観によるバイアスが掛けられているせいか、必要以上に旧軍に対する悪感情がわだかまっていたりする。


しかし、この旧軍に対する悪感情を分析すると、それは、昭和初期におけるリアリズムを欠いた軍部の独走や無責任体質であったり、内務班における暴力体質に対する嫌悪感であったり、特攻作戦やインパール作戦などを実行してしまう無謀さであることに思い至る。
旧軍は、身内目線や、場の空気に左右されて、客観性や大局観を欠いた判断に偏り、自滅するように敗戦までズルズルと被害を増やしてゆく。ほとんど絶望的なまでの、排他的ムラ社会でしかなかった旧軍。これらに対する悪感情であることに気づく。


軍隊自体は、決して「必要悪」などというネガティブな存在ではなく、国民こぞって大いに応援・称揚すべき組織であるはずなのに、オラの世代的な雰囲気としては、どうもそこら辺が歪んでいる。
でもそれは、東京裁判史観が原因というよりも、旧軍が内包していた上記のような問題点や、「他国(敵国)はけしからん、他国が何もかも悪い、他国(敵国)、断固撃つべし」、などとお調子に乗った、国民自身の馬鹿さ加減にこそ問題があったわけだ。軍隊という存在の問題ではなく、軍の暴走を可能にした旧憲法の曖昧さや、内向きで排他的すぎる国民の雰囲気こそが問題だったわけだ。
そこらへんの、軍と国民のアホさ加減こそが(当時の、いわゆる軍国時代に対する)、悪感情の原因なのだと気づく。


人間はアホですから、戦争が無くなることはない。国家間の戦争であれ、宗教や文化や経済などの問題に発するテロ・ゲリラ戦であれ、絶対に根絶されることは無いのだから、軍隊はどうあれ必要なのだ。
問題は、民族主義的な右翼思想や、その思想が陥りやすい排他性だ。自分たち(自国)は何も悪いことはしていない、悪いのは他者(他国)だ、と、なり易い。

他者の否定は、結局、自己の枯渇に通じるのに…。



軍隊は究極のムラ社会だ。しかも究極の実力組織だ。排他的ムラ的な右翼思想が軍隊と結びつくと…(亡国)。
タダでさえ自然状態の人間は自分勝手な存在だ。社会の雰囲気が、内向きなナショナリズムが強くなると、とたんに、国民全体の雰囲気として、大多数がその尻馬に乗って、極端な自国中心主義にこぞって走り出す…。
自国中心主義であることは決して異常ではないが(ある意味、当然のことであるが)、それに「排他性」がセットになると、途端に話は怪しくなってくる。

自分(自国)を尊重したいのであれば、同時に他者(他国)を尊重しなければならない。
でなければ、構造的に自分(自国)尊重は成立しない。


こんなふうに、延々と、グルグルと呻吟して、孫の名前の由来(海軍に関連する名前…!)を受容できるように苦労しなければならないオラの時代精神って、何て面倒くさいモノなんでしょう…(泣笑)



(写真 ↓)映画「タクシードライバー」で主人公が着用していたタンカースジャケット。現在(ミリオタでもあるオラは)安っすいプレーンなタンカースジャケットを入手して、ワッペン等を張り付けて、このジャケットのレプリカを自作中ですwww。「タクシードライバー」は、ベトナム戦から帰還し、心理的な居場所を喪失した主人公が苦悩する物語。まあ、戦争やって、いい事なんて、あんまし有りませんぜ、っていうことで、お後がよろしいようで…今日はこのくらいでwww)