過剰な何か

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種子をため込む - 藤尾
2020/07/14 (Tue) 23:05:42
芸術作品、或は作品性のある制作物の意義に、「見終わった後、自分の中の何事かが変わること」というのがある。
気分が変わる、世界の見方が変わる、問題意識が変わる、他者を見る目が変わる、美しさを感じるポイントが変わる…。
絵画、写真、音楽、詩、小説、随筆、論文、映画、TVドラマ、ゲーム…それらの何であれ、刺激を受け、自分の中の何かが観る前とは変わるということがある。
そんな力なを持つ作品は、それを制作した者が、そこに何事かを込めて作ったからこそ、或いは内発的動機に突き動かされてやむにやまれず表出したモノであるからこそ、観る者がそれに触れた者が共鳴し、心を動かされるのだろう。

     ※

毎年、夏場になると戦争ものを読んだり観たりするが、今年は「土と兵隊・麦と兵隊」「俘虜記」「ある異常体験者の偏見」「私の中の日本軍」「坂の上の雲」等を同時並行で読んでいる。本物ぞろいで読み応えがある。
映画やドラマも戦争物をポチポチ観ているが、こちらは玉石混交だ。
ユーチューブでつまみ食い的・ネットサーフィン的に観ているせいかまさに玉石混交。

近年作では、「日本の一番長い日」「ハート ロッカー」「バンド オブ ブラザーズ」「ザ パシフィック」「ジェネレーション キル」「ジャーヘッド」等は秀作と言えるだろう。(その系譜の「ミッドウェー」は、少々怪しいが)古くは「フルメタルジャケット」「マッシュ」などか。
これらは、少し昔の娯楽戦争モノ(例えば「史上最大の作戦」とか「コンバット」とか」とは完全に一線を画するものがある。


しかしそれにしても、ネットで近年作の戦争モノの映画やドラマをツラツラ観ていると、底が抜けたような作品が多いのにウンザリさせられる。残酷表現を過剰に見世物にした娯楽作がこれでもかというほどある。戦争物に限らず、市街地などで撃ち合うガンアクション物も実に多いが、人体損壊描写シーンの連続ににゲッソリさせられる。

先程挙げた優秀作品と、これらの残虐表現娯楽作品の間には決定的に差がある。
前者には人間の奥深い心の描写や、過酷な状況を生きるヒトの姿が透徹した視点で描かれる。それを観る者は、静かに深く心に刻まれるものがあるだろう。しかし後者は、やたらと銃器や爆発による人体の損傷を見せるだけだ。対立や憎しみや復讐劇など、安直で付け足し程度のストーリーがあるだけで、中身はスッカラカン。

まあ、中身スッカラカンの娯楽作品というのは、言うまでもなく昔から山のようにあった。やたらとドンパチ撃ち合うのとか、チャンバラ映画など、無数にあったわけだ。しかし近年のそれらが昔のモノと決定的に違うのは、その残虐表現においてだ。やたらと手脚が吹き飛んだり、頭に銃弾を受けて血が噴き出したりする。
実は、上記優秀作品にもそんな(残虐)表現が多い。しかしそれはあくまでも、それまで多くあった娯楽戦争ものという、お気軽な作品と一線を画する作品感を確立する手段として(残虐表現が)使われている。撃たれても、血も流さずパタリと倒れてあっけなく簡単に静かに「死ぬ」敵。斬られても腕が落ちる事も無くキリキリ舞いして自分で画面から消えてゆくチャンバラ。戦争の「せ」の字も表現しない昔の娯楽作品たち…。


ところが近年の残虐表現(だけ)を売り物にした作品は、ソレ(残虐表現を見せる)ことが目的になってしまっている。或いは、安直な娯楽作品に、残虐表現を安直に持ち込みすぎている。
これは…、多分、大問題だ。
こんな事を言っている自分でさえ、残虐表現のガンアクション物や戦争物を探してついつい観てしまう。観ているうちに何だか殺伐とした気分になってというか飽き飽きして嫌になってくるのだが、横になって寝る前などに、残虐表現シーンが繰り返して目に浮かんで仕方が無い。しかし、その時、血湧き肉躍るような歓喜のようなものが混じっているのも、事実だ。
それらの多くは米国製だが、米国で銃撃殺人事件が多いのは、こんな作品が多いのとは無縁だとは思えない。

こんな事を言うと、トンデモな思考と批判されそうだが、それでも相関が無いとは思えない。ゲームのやり過ぎでゲーム脳になって殺人事件を起こすなどと言うと批判の嵐を受けることになる。ゲームをやったからといって殺人者になるわけではなく、あくまでも各人の資質と環境の相関によるものであり、社会状況や、おかれた境遇、環境の要因こそを問題にすべきだ、ということだ。包丁が殺人をするのではなく、人がやるのだ、包丁は悪くないのだ、と。
銃撃残虐表現の作品が多いから銃撃事件が多発するのではなく、そんな事件が起きるような社会であるから、銃撃残虐表現の娯楽作品が受けて(求められて=多く観られて商売になるから)そんな作品がが増産される…、という事だろう。
しかしそれは相互に牽引し合い、銃撃事件が模倣的・感染症的に増える…という事もあるはずだ。

悪い種子をため込まないように(触れないように)、とブッダは言う。
でも、残虐銃撃娯楽作品は、精神衛生上よろしくないから観ないように、などと言っても、仕方があるまい。
残虐銃撃娯楽作品は、作ってもウケない=儲からないからやめとくか…というのが健全というか理想なのだろうが、実際問題、それなりに一定数はウケるのだろう。
でも、まあ、それらはツマんねえ、ろくでもない作品ですよ、ハッキリ言って。まあ、だからこそ、それなりの面白さがあるんだけどね(笑)
本項冒頭の芸術作品の定義・意義からすれば、これらの娯楽作品は、カスみたいなもんです。「見終わった後、自分の中の何事かが変わること」といった中身は無い。
あ、あるとすれば、自身の中の残虐性に燃料を注いで燃え上がらせ、安直な暴力性を目覚めさせ、溜め込んだ不平不満の起爆剤になりかねない…という事でしょうか。
あ、またトンデモな事を言っちゃったかなwww