過剰な何か

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昭和の追憶 - マリオ
2021/11/29 (Mon) 00:21:48
昭和礼賛が喧しく、本人のアタシなんか白けてしまうが、車・バイク・世俗・音楽・工業デザイン・服飾・食い物に至るまで昭和が見直されている。あれ程ダサく馬鹿馬鹿しい時代の何が良いのか分からないが、、、自分自身、LPを聴いて四号機電話機で友人に架電してラーメンの出前取って煙草でも吹かしたい気分ではある。さて、人生の最後に乗る車はと考え出すとこれはまた楽しい。そこで360cc時代の軽を少し懐かしく思い出したい。
Re: 昭和の追憶 - 藤尾
2021/11/30 (Tue) 18:04:38
21世紀になって、カメラが銀塩フィルムからデジタルに代わってゆく過程において、デジカメの解像感に関する優位性が語られると同時に、「バキバキに解像しすぎる」という問題が露見した「女性の顔の雰囲気を撮りたいのであって、産毛や小皺をとりたいのではない」という事だ。
これは、アナログレコード時代にCDが普及しだした頃に語られた「音が固い」「楽器の音が分離しすぎる」といった不満と同じだろう。

学生の頃、フロンテクーペは運転させてもらった事があったが、なかなか強烈だったですぜ。洞窟というか穴倉に潜り込んで、細い小窓から覗きながら操縦するみたいなコクピット。後ろなんかまるで見えない。高回転型2スト独特の(?)低回転域の細いトルク感とゴロゴロ音。しかし、低い乗車位置や、ダイレクトに走らせてるぜ感が面白かった。
あと117クーペね。(これも借り物w)これはまた何とも豊かな感じで、落ち着いたリッチさかつしっかり走る感で、ある意味無敵な感じがしたもんだ。

で、実際はってゆーか現実の「うちの」クルマは親父のHONDA Life とCIVICね。で、嫁が乗ってたのはパルサーですわ(ハンドルが5度ほど回った位置が直進という、恐らく事故車あがりの格安中古車w)次にライトエース(3列シート)→VWポロ→フィット(ハイブリッド)→ジムニーだよ。
ポロはダイレクトな操縦感で運転が楽しい車だった。でも、なんつってもジムニーはいいすよ。比べるもの無しってゆー感じ。他のクルマがぜーんぜん気にならない。唯一無二の孤高っつーわけじゃなくって、乗車位置の高さとか、独特のスピード感とかが、「他との比較」という雑念を排除してくれるんだと思う。
コレ、やっぱウチの最後のクルマっすよ。と、自然に当然のように感じる。
まあ、本当は、最後は電気自動車かな、とも思うけど、70歳を過ぎたら免許返納を考え、75歳までに返納、と思うとジムニーが本当に最後かも…。

(117クーペの狛犬 ↓)
Re: 昭和の追憶 - マリオ
2021/12/04 (Sat) 10:22:41
今年は、音楽雑誌まで昭和志向で、たまらず買ってしました。四冊並べると昭和51-53年頃の情報ばかり、、なんだか?
Re: 昭和の追憶 - マリオ
2021/12/06 (Mon) 00:35:28
ジムニーは、いつの代も気になっていた車だ。ボールジョイント式ステアリングで多少、操舵が軽くなったと聞けば気になり、4サイクル化すれば気になり、、
乗るなら完全オープンの幌仕様ら出来るのがいいなぁ。人間贅沢覚えるとその中で比較し合うが、枠を越えると全く気にならん、冬なんか相当寒くても精々ヒートテックと革ウエア程度で単車乗れる。しかし四輪車でヒーターが壊れてたら乗れないだろうなぁ。
このシエラは誠にカッコよくいじってあるけど登録車でも4人乗りなんだよねー?
Re: 昭和の追憶 - 藤尾
2021/12/07 (Tue) 20:16:17
ウチのヨメがクイーンのリアルタイムなファンで、「Music Life」とか、(さらにミーハーな)「音楽専科」とかを買っておったようだ。オラは渋谷陽一が好きで「ロッキング・オン」を買っていたが、内容はほぼ覚えていない。
で、ヨメはガロの本格的な追っかけをしていたのはご存知の通りだが、そんな話をカイシャでしたら、「あたしは、チェッカーズの追っかけをしてた」というアラフィフのオバサンがいた。追っかけタクシーとかいう話がでて、ああ、みんな若い頃があったのだ…としみじみとしたよ。そんな事があったオバハンの人生の一時期を、同じ職場で過ごすというのを考えると、人と人がある時点、ある場所で交差する…というのは、本当に味わい深いと感じるよ。

そーいえば、「風魔プラス1」=レッドホライズンのジャケットを買った話をしたかな。
(アウトドア用品の)モンベルのアウトレットストアーでたまたま見つけた時は驚いた。(旧製品のため特価販売、という札が付いていた)モンベルでOEM生産とかしてたんだろうか。非常に凝った造りで、このポケットには何を入れるか…と楽しい。今でもたまに着ているよ。
風魔+1 - マリオ
2021/12/29 (Wed) 20:54:19
この風魔+1は「ふうま」と読んで良いのか未だに知らん。しかしこの編集者のヘルメットに百足が入り込み頭皮を刺されたって記事は当時アチコチで目にしたものだ。単車用に特化した衣料ってのは独特の構造と風合いでタントもたまらん。
ベルスタッフのトライアルマスターなんか新品で出てこないかなあ?なんでも油布で縫製してあると、、、
Re: 昭和の追憶 - マリオ
2021/12/29 (Wed) 23:51:11
観劇にオペラグラスは当たり前かもしれんが、最近は十畳もあるような映像表示装置が舞台の左右に配置され、それを見れば事足りる。それどころかオペラグラス・双眼鏡の使用が禁止の例も(某歌手の武道館)
そこで、スマホにオペラグラス内蔵のコレ、、、
昭和と令和の見事なあい皿
Re: 昭和の追憶 - マリオ
2021/12/29 (Wed) 23:59:45
21世紀は没落の世紀となつた?大英帝国の誇る小型乗用車、、今もBMWが製造続けて、沢山の類別があるが、、、
やはり英国時代の昭和40年代の設計が、工業デザインとしては秀逸だ。一世を風靡した漫画家の鳥山明氏・然程詳しくはないが誇張が凄く上手い。こんな感じで仲間と車の旅でも出来たら楽しかろうや?
Re: 昭和の追憶 - 藤尾
2021/12/31 (Fri) 21:34:46
スマホには、ホントいろんな機器がやられちまった…という感じだ。カメラ・コンパクトカメラ需要は完全にスマホカメラにとってかわられ、コンデジというカテゴリー自体が消滅しかかっている。


海外のライブ演奏映像をいろいろ眺めていると、観客がコンデジの動画機能でステージを撮影している姿を上手く取り入れて使ったビデオをたまに見かける。(写真 ↓)
これには、驚く要素が二つある。

(その1)
もそも、欧米においてはコンサート会場で一般観客が写真・動画撮影が認められているのか?
彼の地においては、美術館・博物館での写真撮影は普通に認められている事なので、演奏会においても同様なのか?

(その2)
このビデオでは、観客がステージをコンデジの動画機能で撮っている。驚きだ! (スマホで、じゃないよ!) 2010年頃のビデオなんだろうか?

現代においては、静止画でも動画でも一般的にはスマホカメラだが、たかだか10年ほど前までは写真を撮るといえば「コンデジ」コンパクトデジカメだったのだ。

そのコンパクトカメラも、win98の出現・パソコンの爆発的普及に伴い、西暦二千年頃から銀塩フィルムカメラからデジタルカメラに雪崩を打つような勢いで置きかわってしまった。
つまり、コンパクトデジカメ=コンデジというカテゴリーの商品の隆盛は(長く見ても)1999年頃から2015年頃までの、たかだか15年間ほどでしかなかった…というわけだ。現代においては、高倍率ズームを搭載した一部機種が海外で多少需要がるという程度で、コンデジはほぼ死に体である。

昭和時代のコンパクトカメラというのは、実に多彩で、普及機から高級機まで百花繚乱で、いまだ中古カメラ市場において値が付くほど長寿製品が多い…そーいえば、マリオ氏はローライみたいなコンパクトカメラを持っていたように記憶するが?

https://www.youtube.com/watch?v=wOmnqEaX6IY

Re: 昭和の追憶 - マリオ
2022/01/01 (Sat) 21:35:12
110フィルムのカメラは、多分、007の映画かなんかに登場する「スパイカメラ」に心奪われて欲しいと思っていたはずだ。多分、本家は洗練された意匠と秀逸な性能のミノックスだろうが、数千円で買えたミノルタ16ってのを使ったなぁ。
藤尾くんの腕とフルサイズのフィルム使うオリンパ・ストリップ35にと画質は全く敵わんでした。
Re: 昭和の追憶 - 藤尾
2022/01/03 (Mon) 21:36:18
コンデジの最盛期はたかだか15年などと書いたが、110フィルムという規格の製品が活躍したのは、もっと短い期間だったかもしれない。(APSフィルムやディスクフィルムといった規格は、更に短い)
それを言ったら、カセットテープを用いたウォークマンなんかも、最盛期はそんなに長くなかったかも…。
3.5インチフロッピーディスクも、MOも、いつの間にか見なくなった。PCカードスロットなんてえのも、今や思い出でしかないよなあ…。ボール型マウスは、うっかりするとカイシャの古いPCで使ってたりするが…www



ドイツの首相退任式では慣例として首相の選んだ曲が演奏されるのだそうだ。メルケル首相が3曲選んだ内の一曲が、1974年のヒット曲の「カラーフィルムを忘れたのね」だった。デートで彼がカメラを持ってきたが白黒フィルムしか持ってこなかったので、せっかくの思い出の写真がカラーでなく白黒ばっかりになってしまったじゃねえかバカヤロー、という曲だ。当時の東独の自由のない社会を、色のない白黒フィルムに例えた曲だということらしい。

一方、米国のポール・サイモンは1973年に、「僕のコダクローム」で、「ハイスクールの思い出は、ニコンのカメラで撮ったコダクロームのカラー写真が鮮やかに再現してくれる。白黒じゃあだいなしだぜ」と歌っている。

つい、この2曲の相関を想像したくなるが、それはともかくとして、要は当時、思い出を残す媒体というかアイテムは動画やビデオではなく静止画、しかも当然デジタルではなく銀塩写真であり、さらに白黒ばかりだった写真が、カラーフィルムがようやく手軽に、一般的に使われるようになってきたということが世界共通の認識・感覚であった、という事だろう。

1974年は、昭和49年だ。俺らはその時…歳だwww
カラーフィルムを買うのも36枚撮りじゃあなくって24枚か多くの場合12枚撮りだった…。
ちなみに、まさに当時・中学時代、市主催の写真展で銀賞を取ったが、その時の賞品は、富士フイルムの「36枚撮り白黒フィルム」だったwww 。昭和とは、まあそんな時代でもあったのだった。
Re: 昭和の追憶 - マリオ
2022/01/04 (Tue) 00:42:37
いやあ。昭和ネタは盛り上がるなぁ。昭和33年生まれの連中は、昭和を31年間と平成を31年間過ごしてる両刀使なんだ。
110のフィルムは一般的ではなかったが、輸入のトイカメラなんかで昭和46年頃の登場から平成20年頃までは市場にあったなぁ。
この手の媒体の普及は、価格や入手しやすさやハードの専有率なんかが複雑に絡み、単にコスパ・性能だけで語れないものがある。藤尾くんが涎垂らして食いつくかも知らんから、
フィルム 126, 110フィルム、APS, ディスクカメラ
ビデオ Beta, VHS, VX, VHD, レーザーディスク
音響 エルカセット、MD、DAT、CD4、SQマトリクス
なんかをネタとして撒いておこう。
Re: 昭和の追憶 - 藤尾
2022/01/06 (Thu) 15:24:01
ふっふっふ…では、「8ミリビデオ」の話でもしようか。
ご存じSONYのビデオはベータマックスだが、ビデオカメラ用の小さいテープカセットを用いたのが8ミリビデオだ。
それ以前、ベータマックスのデカいテープをそのまま使うビデオがあったが、そのレンズ・AF・撮像素子ユニットは、オラが当時勤務していたT社で作っておった。当時オラは営業から検査部門に異動になって、このレンズユニットの検査をしていたのだが、これが不良続きで大変だった。
まず、ハニウェル社(ミノルタα9000のAF機構で裁判沙汰になったあのハニウェルだ)のAF素子の検査から始まる。これはチップを検査治具に一個一個載せて動作・誤差を検査する。高卒の女の子が退屈そうに延々と毎日やっていたのが気の毒だった。
別に、レンズ部分も解像性能や回転トルク、文字入れの目視検査などを経てゆく。

で、双方のOKロットを青森の組み立て工場に送り、冒頭のレンズユニットとして組み込んで、それがまたトラックで埼玉に送り返されてくる。凄い数の段ボール箱だ。これをトラックの運ちゃんが検査室の前に積んでゆくのだが、運転するだけでなく人力でねじり鉢巻きで気の遠くなる数の荷下ろし作業までするのは実に気の毒だった。
で、オラはミル・スタンダード何とかっていう抜き取り検査基準に基づいてユニットを抜き取り、検査治具にはめてAF性能(速度や正確度)を検査してゆく。当初、これがまた不良ロットの連続だ。そーすると開発や製造技術の連中に突っ返して対策を取らせる。後日、何やらジャンパー線が追加され、対策済み確認の赤丸スタンプが押された個体が検査に再び持ち込まれる。

で、やっとOKになったロットが愛知のSONYの工場へ送られて組み立てられる。ところが製品の最終検査でAF不良とかの問題が発生する。青森の実装部隊とか本社の開発や電子やオラたち検査屋が大挙して愛知へ向かう。大宮組は新幹線だが、青森組は日本海とかの夜行列車で来るwww
で、技術屋や営業がSONY側と根本対策を練る間に、俺らは「全数検査」をかけて、とにかくOKな製品をピックアップして、出荷可能なものを集めたり、安全なロットの見極めなんかをしてゆく…。美濃加茂だの犬山だののSONYの工場に何度行ったかわからんぐらい行ったもんだ。巨大な工場のラインには、若い娘どもがズラッといて、休憩時間なんかは、それは壮観だった。ああ、SONYの社食は安くて清潔で美味しかったよw。俺らが、あんまりしょっちゅう愛知へ来るもんで、SONYが食券の回数券をくれたよwww

なんというか、製造の現場は緻密な動作基準があるかと思えば、こんなふうな泥縄な自転車操業的なヤッツケ仕事もアリで、飽き飽きするような毎日の繰り返しと、祝祭的な突発事項対応が交互に繰り返されて、あ~あ、これが人生か、という諦念みたいな倦怠感が積み重ねられた感じ。
まあ、これがオラが体験した昭和な工場現場での体験の、ほんの一部だ。その後、コレは8ミリビデオの製造に入っても、同じことを繰り返す。撮像管が撮像素子(CCD)に進化したのが違うぐらいかな。

この話は数十年前の昔話だ。とにかくまだまだイケイケな時代の雰囲気だった。今どきの工場は全般的にもっと洗練されてスマートなんだと思うが…www