オーラルヒストリーというのは生々しくて面白いし、資料だけでは読み取れない行間や、秘匿されている事への気づきが得られる…。今回話題に登っている「兵士」たちの話は、まず実体験そのものであろう。実に生々しくて重量感があり興味深い。
しかし、特に高級参謀や軍司令官などが戦後に語った話は、まず、中身がない場合が多いという。肝心な事をはぐらかす、責任逃れするなどは当然で、今でも秘密にされている事が多いという。
・司馬遼太郎は昭和の戦争(日中戦・ノモンハン・太平洋戦争)について書く準備として、様々な人にものすごく長時間の取材を重ねたが、結局書かなかった。隠し事や自己防衛の嘘ばかりで、まるで話にならない。資料と整合性がとれない。資料も、実際のところどこまで本当か怪しい。自身が戦車隊にいて当事者だっただけに、彼らの欺瞞や取り繕いが見え見えで、どんどん書く気が失せて行った、と。
・半藤一利の「日本の一番長い日」が(一回目の)映画化された際、大戦中の陸軍省の元将校たちが試写会を観に来ていて、帰り際に仲間内で、「おい、あの件はまだわかっていないんだな」「わからないんだな(知らないんだな)」と話し合っていたという…。彼らが決して「座談会」などでは語らない秘密がまだまだある…と。戦中や終戦間際の陸軍の秘密はまだある…というわけだ。
・「日露戦史」を、日露戦後、軍が編纂した際、関係する高級将校が一々口出しして、自分たちの作戦や行動の失敗を書かないように圧力を掛けて、実態とはまるでかけ離れた「公式戦史」が出来上がった。
これは同様に、第二次大戦後の、よくある「高級将校の戦史座談会」とかでも、かばいあいで真実はほぼ語られなかった…というのと同じだ。
・戦中も、「本当の事」を意見具申すると、最も危険な最前線にとばされる。僻地の閑職に回されて中央から遠ざけられる…。これが、参謀に対してでも、軍司令官に対してでも、軍学校においてでも、とにかく大から小まで、軍内の様々な階層において行われ、真実を・実態を直視しようとしない。重要な敵に関する資料・情報を得ても、自分(参謀本部)に都合の悪い事は見て見ぬふりをする。(現実を重視し、柔軟に対応した司令官たちは、逆に今日において「こんな立派な司令官・軍人もいた」と本になったり話題になったりしてしまうぐらい希少価値の高い(?)存在というワケだ…)
・統帥権を握った参謀本部が、ほとんど勢いで次々と事変・戦争を起こす。その累積で太平洋戦争に落ち込む。うまくいかなくなると、軍・統帥権の執行者(参謀本部)はヒステリーを起こして誰かを(何かを)スケープゴートにする。身内の弱いヤツを叩く。国民をひっぱたいて、お前が悪いんだ、お前がだらしないんだ、という。
何のための、誰のための戦争なのかまるでわからない。
検証しないわけですよねえ。原因追及は、どうなんでしょうね、(GHQに止められなくても)できなかった…かもしれない気がする。
終戦間際、武装解除と責任追及は(占領軍・進駐米軍でなく)自分たちでやる…と軍は譲らず。東条は国体護持の堅持だけを主張する。(東条は何だかんだ言って忠臣)。自分たちで「武装解除、責任追及」なんて、何を寝ぼけた事を言ってるのか。そんなの通用するはずもなく。この期に及んで、どこまでも内向きで身勝手な軍。
あ、ところで、看護師さんといえば、こんな(↓)のがある。
https://373news.com/_kikaku/war/article.php?storyid=124157&key=1