過剰な何か

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頭上の敵機 - マリオ
2022/07/28 (Thu) 12:47:25
藤尾くんが半世紀前に「観ろ」と言ってた映画をネット配信で鑑賞しました。
EUの緒軍隊のスポーツの如く堂々とした交戦や、民主的な隊内の運営(丸でアメリカの企業をみたい)に感心しつつ、単なる戦記モノではない奥深さと共に名優グレゴリー・ペッグの男振りに魅了されましたぜ。
Re: 頭上の敵機 - 藤尾
2022/07/28 (Thu) 22:39:40
お、眼下の敵・頭上の敵機ね。
やー、映画ってホントいいですねえ。アメリカンエンターテイメントってスゴイですねえ。
中々重厚なつくりですよねえ。後年の「メンフィスベル」や「レッドテール」は、ある種の青臭い青春娯楽映画だけれど、本作は中身濃い目ですよねえ。
(本作では皆して転属願を書くっていうのが驚きだけど、そういえば、ドイツ空軍でも、自分で自分の転属命令を書いて気に入らない部隊から出て行っちゃうの。ある程度以上の階級者や実力者だけど、それができちゃうっていうのは驚き)

B29まで来ると与圧室まであって近代的だけれども、B17って、風がビュウビュウ吹き抜けるような半オープンコクピットみたいなもんで、こいつがドイツの77mm高射砲で撃たれたり、戦闘機に追い回されたりする様は、西部劇で白人の幌馬車がインディアン(www)の群れに襲われて逃げるみたいな絵で、何とも人間臭い(?)感じが濃厚にして、物語を生むわけですよねえ。近年の爆撃機モノのシーンで意外とスゲエ感じなのは、「アン ブロークン」のB24ね。飛行機シーンは少しだけだけど(この映画自体の内容や出来は??でクソだけどwww)

爆撃機の描写でリアルなのは、小説だけどロバート・ウェストールの「ブラッカムの爆撃機」ね。これ英空軍のヴィッカース・ウェリントン双発爆撃機の話なんだが、これ、1万機以上作られてんの!零戦並みですぜ!イギリス空軍って、ドイツの夜間爆撃でボカスカ撃ち落されたりして、それだけで約6万人以上もの搭乗員が戦死してるってゆースゲエ事になってたの、知りませんでしたわあ…。

えー、話を戻して、頭上の敵機って、“Twelve O’clock High”ってゆーのね、今頃・半世紀も経って知りましたwwwカッケー!
あ、オラは映画を観たのは確か後年で、当時観たのはTVシリーズだった。「頭上の敵機」「爆撃命令」シリーズね。これ、当時の米国製のTV連続ものシリーズでいうと「ローハイド」とか「MASH」「コンバット」とかみたいな感じで、毎回バラエティーに富んだエピソードで、良くできてるのよ、これが。(もっとも、これらTVシリーズは今見ると、けっこう陳腐で類型的だったりするんで、現代の目で観るとつらいものがあるかもしれんが…)
Re: 頭上の敵機 - マリオ
2022/08/01 (Mon) 01:31:12
英空軍のヴィッカース・ウェリントン双発爆撃機が一万機以上も作られてた話は初耳です。すげー数です。相当設計が良かったのでしょう。
日本も総数では沢山の軍用機があるけど、種類もそれなりに多く、常に新型の開発とテストをしていた感がある。零戦に至ってはモデルチェンジも激しい。11型〜63型まで、
何が言いたいかと言うと「優れた軍用機・しかもマルチロール」を沢山作れば、後方支援も充実したろうにな?と思うわけです。
そしてB29、これね、駐在中に何度も観て触って、海軍飛行兵だった愚父にも見てもらったけど、
確かに与圧室で空調が効き、トイレ完備・24Vの電装で暖かい食事も摂れたって話なんだ。
そして日本空襲では450機を喪失しているってことは約500人近い搭乗員が、救助生還・戦死・俘虜などの憂き目にあってるんだなぁ。11名の搭乗員の中には航空機関士がいて、常時計器見て圧力やら混合比やら調整して、帰還後は高負荷の時間を計算して、分解整備やら載せ替えやら思案していたとても手の掛かる機体だったらしい。
丸でも読むか?
Re: 頭上の敵機 - 藤尾
2022/08/02 (Tue) 12:13:23
ふむふむ。
日本軍はいろんな種類の戦闘機を、毎年どころか陸海軍合わせるとまるで月替わりでどんどんリリースして、さらに攻撃機だの爆撃機だの偵察機だの哨戒機だの水上機だの…まあ、作りに作って凄いバラエティだ。
二式戦闘機・キ44(鐘馗)を飛行テストした米軍が、
「なぜコレばかりを作らなかったんだ?」
と言ったという話がある。米軍の戦闘戦術(高速追撃・一撃離脱戦法)や運用からすれば、二式戦は充分に良い戦闘機で、コレばっかりをどんどん製造・配備運用して、効率的に部隊を増やせば、もっとやりようもあったろうに…という事だろう。
まあ、日本人はどうしても航続距離が長くて旋回性能が良い飛行機が好きだったから相容れないワケだけど。二式戦の製造は、四式戦が開発された事もあり、たった1200機ほど。(零戦の1/10、一式戦・隼の1/5ほど)

マルチロール…。F35のバラエティは凄いですな。F4もF14もF15もF16も実に色んなタイプが。まあ、P51やP47もロケット弾だの爆弾だの積んで色々だったけど、基本的に日本機は発動機の出力に制約が多かったり、機体設計の余裕度とかもギリギリで厳しく、どうしても単能にならざるをえなかったんじゃないかな?戦闘機(零戦)と攻撃機(九七式艦上攻撃機)の乗り味の違いについて、戦闘機は操縦桿でもラダーペダルでも、カミソリのような反応だが、攻撃機は挙動が(戦闘機に比べれば)穏やかで、着艦などの機動も楽だった…とかいうのをどこかで読んだ(どこか忘れた)。

B29の話。良い話を聞きました。ありがとうございます。実物はさぞ凄かろうし、実見しなければ得られない感触も多かろう…。
巨大軍用機を見たといえば、船の科学館の二式大型飛行艇ぐらいかなあ。
ああ、福生基地での交流会でギャラクシー(だったかな?)のコクピットに座ったっけ。ヘッドアップディスプレーとかグリーンに点灯状態でサービス満点。「どうぞ、レバーとかさわってかまいませんよ」「写真撮りましょうか?」と、実に慣れたもんだったwww
この飛行機はハワイの部隊のせいか、乗員の多くがハワイアンとか有色人種多し。クルーは当然のように女性も多く驚いた。

整備の件、B29はエンジンも無理したモノで、発火事故も多かったと聞く。現代の旅客機は整備時間よりも飛んでる時間の方がはるかに長いが、戦闘機は飛行時間の何倍もの整備が必要とも。
それで思い出すのはMe262のジェットエンジンの耐久時間は20時間だったという話。一作戦30分ほどの飛行かもしれないけれど、草創期の実験的な機体だった…っていう事でしょうか。
B-29・訂正 - マリオ
2022/08/02 (Tue) 17:40:04
日本爆撃で450機喪失い≒5,000人(500人ではなく)近くが犠牲となってる訳だ。しかし人命重視の米軍は空路の海域に潜水艦やら駆逐艦を配備して、墜落機の回収・救助を抜かりなく致しているからそれなりに生還もしているかもしれん。何故、人命重視か?と言うとそうしないと民主主義国家の戦争は民意の厭戦気分で国として戦意喪失になるからではなかろうか?
作戦中でも順に休暇を取ったり娯楽を楽しんだり、この余裕は日本には全くにはなかったものだ。アーリントン墓地には南北戦争以来の戦死者が敵味方隔てなく埋葬され、専用の武装(特納M-17拳銃)をした衛兵が恐らく米国の歴史続く限り護衛するのだろう。脱線するが米軍の食堂で食うものはRationと言うがコレは「ラッション」と発音する。レーションではない。そしてA Rationを供するような非戦地帯の基地内の食堂には、MIAの席っていつも未帰還兵に思いを寄せている。Missing in Action≒戦死者・捕虜ではない行方不明者、、本線に戻してっと。。。
B-17やB-29の操縦手順などは今ではネットで探せば見ることができるが、やはり災害・出火・火災・過熱・爆発などを避ける為の作業標準が細かく決まっていて、組織や道具を上手に運用して総合力を発揮する"TQC"とか"TQM"ってのはこの米国には敵わないなぁとつくづく思うのだ。
とは言えライトR-3350のエンジンは当初耐用時間がたったの200時間で、まぁ、極端な話太平洋まできたら10回でエンジン交換だった訳です。しかも過給や全開を多用した場合はいわゆるシビアコンディションってことでさらにこの時間は短くなる。200時間(10-20出撃)で換装するエンジンはと言うと工場に戻して再整備(今で言うリマンとかリビルド)し、次回の出荷に備える。まるでレースの現場みたいですね。飛行中も操縦士・爆撃手なんかより航空機関士は全く休まず機関の手入れをしていたんじゃないか?
愚父の採用通知が「飛行兵二徴募ス」となってるので元少年飛行兵ってことで話を進めると、2002年に米国の我が家に1ヶ月程滞在した亡き父をDaytonの空軍博物館に誘った。万感の思いでかつての敵機達を観て・触れてB-29の実機にじっくり掌を当てて「コレと戦ったのかぁ?」と納得していた。2005年にはSaipan島にも一緒し、厚さ10mmもない外板の戦車の放置さる最後の司令部など〜バンザイクリフ(直訳すると自死崖)で手を合わせて、戦後60年後に彼の長かった戦後は終わったように思う。
水上偵察機の話 - マリオ
2022/08/04 (Thu) 22:26:18
16歳だった父は少年飛行兵に徴募され終戦の年の正月、単身、山口県防府まで赴任している。こんな広告みて胸躍らせて征ったに違いない。元自衛官の無線仲間によると「戦争末期には通信兵が足りずに、逓信講習所卒の電報員を即成の飛行兵に採用する枠があった」とのことで何のことはない、飛行兵と言っても二列目とか三列目で電信を主に生業とする兵卒になる予定だった。とは言え「ワレニオイツクグラマンナシ」との名文も残す三坐水偵とかね、、あった訳よ。でも実戦ではカタパルトで放たれた偵察機が作戦行動中の僚機に戻り着水しデリックで揚上なんてなくて、そのまま行方不明、「兵の命は鴻毛より軽し」と言ったり「人命は地球より重し」と言ってみたりこの国の指導者のいい加減なこと。
Re: 頭上の敵機 - 藤尾
2022/08/04 (Thu) 22:57:32
ご尊父を伴われての旅の話、孝行されましたなあ…。胸にしみる話です。

うちの父はフィリピンで米軍の捕虜生活をしていた時、米軍食糧庫から缶詰をかっぱらって来て、缶をコジ開けようとしてその破片が目に刺さり、以来片目の生活だった話は以前した通りだ。
片目ゆえ距離感がつかみにくく、定期的に警察学校の地下射撃場で行う拳銃射撃や逮捕術訓練が苦痛だったそうな。さらに、張り込みの必要からクルマの免許をとったが、やはり距離感をつかみずらく、クルマを溝に落としたりして苦労を重ねたようだ。

ところでそれから40年後、なんだか目の破片がうずきだして、破片を取り出す手術をした。それまで明暗程度しか見えなかった片目が、以前より少し見えるようになったそうだ…。文字通り、ある意味これでやっと戦争が終わったのだ。

米軍のポイント制の休暇や退役の件、これは米軍の運用・作戦遂行にとって重大問題だった。「バンド オブ ブラザース」原作にも出てくるが、優秀な部隊は作戦のたびに常に便利使いされて最前線に送り込まれ、後方へもどる機会を延期され続けるなどしたそうだ。

この問題はコロネット作戦立案時にも影響し、米軍の日本本土・関東上陸の頃、多くの米兵が後方へ退く時期に当たってしまい、不慣れな新兵ばかりで上陸作戦を行うことになり、大いに苦戦が予想された。そのため、米軍では化学兵器や生物兵器を使う計画まで検討されたそうだ。

下図はコロネット作戦の作戦図だが、主力は茅ケ崎に上陸し、東京へ向かう一方、北上して中島飛行機の本拠・群馬県を目指す。途中、八王子、福生(横田)を経由するが、戦後、米軍航空基地の置かれる地点に当たる。
終戦直前に埼玉の熊谷が空襲されるが、中島飛行機の協力工場があっただけでなく、米陸軍の攻撃進路に当たるため、事前に攻撃されたというわけだ。(そういえば父は徴兵されてフィリピンに行く前、熊谷の中島飛行機系の工場で飛行機の脚柱を作っていたのだった)

ちなみに、満州から本土に転進してきた戦車隊にいた司馬遼太郎が、「敵が本土に上陸してきたら、主要道路を走行して戦地に向かう時、避難民が道にあふれていたらどうするべきか」上官にたずねたところ、「ひき殺して行け!」と言われたそうだ。
まあ、軍隊の本質とは(沖縄戦の例を出すまでもなく)、多かれ少なかれ、そうしたものだろう。

Re: 頭上の敵機 - マリオ
2023/05/26 (Fri) 20:47:51
最近、私の従兄弟がこのブログ拝読しているので、彼に読んでほしい話題に返信つけて上に持ってくるのをご容赦下さい。
父の出陣時の資料を明年から令和の若者にも見て頂ける様、展示準備中です。
Re: 頭上の敵機 - 藤尾
2023/05/26 (Fri) 23:08:22
このノボリ、色付き(墨黒一色でなく)な上に、下部に金色の立派なモール飾りが付き、さらに絹でしたねえ。これはすごいです。
Re: 頭上の敵機 - 藤尾
2023/05/31 (Wed) 12:07:51
当方の父の、フィリピンでの米軍捕虜時代の写真。
この二枚も収蔵となりました。
比国の尊父 - マリオ
2023/06/21 (Wed) 12:48:47
俘虜生活の米国による近影も収蔵展示とは、素晴らしいですね?こうして歴史の評価に耐える生活を体験した親族がいることは少し誇らしい気もします。
陸軍少年飛行兵(熊谷陸軍飛行学校、桶川分教場) - 藤尾
2023/06/21 (Wed) 19:24:17
まったく、そう思います。いつの間にか写真が散逸してしまう事もあり得るので、有意義な事をしたと安堵しています。

司馬遼太郎は、先の大戦においては戦車隊の小隊長でしたが、右も左も、イデオロギーを徹底的に嫌った人でした。
しかし、自身の属する国家の憲法に基づく要請に従って従軍した事に関しては、生涯、誇りにしていました。しっかりと義務をはたしたのだ、と。

     ※

さて、ちょっと体調が良かったので、先日、桶川紅花まつりに行ってみた。(ついた早々、大急ぎでトイレを探さなければならず、やっぱり遠出は無理…と反省する結果となったのだが…それはさておき)

飲食や物販のテントが多数出て、大層な賑わいだった。そんなテントの中に市や県の広報のテントもあり、「桶川飛行学校平和祈念館」の広報のテントもでていた。

立ち寄って、私のヨメの父親が「少飛(少年飛行兵)」で、熊谷陸軍飛行学校にいましたよ、と言うと、大いに話が盛り上がった。義父は同期会の幹事で、航空自衛隊の航空祭などに招待され、ヘリコプターに乗せてもらったりしていたこと、PCのフライトシュミレーターで遊んだりしていたりしたこと…
・桶川飛行学校分教場は、熊谷陸軍飛行学校の分校に当たり、行き来があり、桶川校に来ることもあったかもしれない、との事。
・この桶川陸軍飛行学校平和祈念館が整備され公開されたのは、令和二年と極最近だそう。少年飛行兵当時の関連資料があれば是非寄贈して欲しいとのこと。(本人が存命だとしても90歳代のはずで、かなり難しい現状…とのこと)
うちの義父も、だいぶ前に亡くなっており、その妻(私のヨメの母)も数年前に亡くなり、その時みーんな捨ててしまったので、何も無いのが実に残念。
・埼玉平和資料館(ピースミュージアム)とは、短編映画や資料を貸し借りする関係にあり、月に数度は行き来している、とのこと。
・ほう…!実はそのピースミュージアムにコレコレこんな具合で寄贈したばっかりですよ、と話すと、そんな形で、是非何か残っていたらお願いします…と再度言われてしまった(すいません、無さそうです。義父の草野球のトロフィーじゃあしょうがないですもんねえ…)

…と、いうことがあった。
体調良くなったら、是非、行きましょう。

桶川飛行学校平和祈念館(↓)
滑走路は、なんと!現在の荒川河川敷の、ホンダ航空(ホンダエアポート)の滑走路だったそうです(驚!)
https://www.okegawa-hiko.org/
郵便局から海軍へ - マリオ
2023/08/08 (Tue) 23:51:27
https://wararchive.yahoo.co.jp/wararchive/chibanippo2.html
この記事の早川翁・令和5年で95歳、昭和19年に郵便局から海軍へ志願し「武蔵」に乗艦されている。16歳
愚父・利和と、粗生まれ年と職歴と海軍の志願の時期が同じだ。当家の父は防府の海軍通信学校に入校し終戦を迎えているが、こちらの翁は乗艦・実戦参加されて今日まで生きて証言を続けられている。
工兵。100歳超え… - 藤尾
2023/08/09 (Wed) 09:46:50
凄い。健康と祝福を…、と思わず祈る。
本当に最後の最後…の生き証人だろう。
その子世代のわれらとて、現役引退の年代に達したとは…。

当方の父親は大正11年だから、生きていれば100歳!
(8月1日で101歳!)

下記の元工兵の方は104歳でご存命。
(当方父親も元工兵・飢餓体験・捕虜組なので親近感)
実際、動画を見ても実に達者で驚かされる。

https://mainichi.jp/articles/20230801/k00/00m/040/168000c?utm_source=article&utm_medium=email&utm_campaign=mailhiru&utm_content=20230805
104歳 - マリオ
2023/08/09 (Wed) 11:32:11
過日も大東亜戦争下で看護婦となった、今日、90歳超えている現役看護師がTVで取材されていた。
https://www.youtube.com/watch?v=qySNVUuCqsI&t=109s
共通していることは「体の衰えはそれなりにあるものの、頭脳明晰・記憶鮮明・会話明瞭」なことだ。されば社会でも受け入れ先もあるだろう。この証言はNHKで特集して放送してほしいなぁ。
小生も今80歳過ぎの老人と働いているが、足腰の衰えと背中が曲がりは言うまずもがな、殆どの人が知能が退行していて、単純なこと以外理解できない、そして数人は「振り込め詐欺」の被害者だ。
さて元陸軍兵の翁の記述・口述に非常に重い真実が書かれている。現国民も政治家全員が傾聴すべき事柄の二つを抜書きしたい。

「責任はそりゃ、軍司令官、陸軍大将にあると思います。そして大本営(戦時に天皇に直属して置かれた最高機関)。戦争を許したマスコミ、国民も責任がある。今も時々、あの時に日本が負けて良かったと思うことがある。もし勝っていたら、きっとまた戦争を始めていた……」

もう一つは、
「検証していない」
45年秋、幣原喜重郎首相は、開戦や敗戦の原因、戦争の実態を徹底的に調査して、結果を国民に公開すると決めた。どこで間違えたのかを突き止め、反省するためだ。政治や軍事だけでなく、経済や思想、文化といった分野でも聞き取り調査が始まった。だが、戦争の原因追及やそれを裁くことは日本政府のやることではないと考える連合国軍総司令部(GHQ)の諮問機関によって、戦争調査会の調査はわずか1年で中止させられた。そして日本政府はその後、反省する機会を持とうとしなかった。
 「あの戦争のどこが間違っていたのか、検証していない」

この検証せず・有耶無耶が、現代日本の政治家・公務員に共通する信賞必罰を忌避する曖昧な社会が出来上がったような気がします。戦争や軍に対する評価も検証どころか公表もしていないから、散発する断片情報もとに適当な議論が湧き上がり、中には金稼ぎのための身元不明の「吉田清治」なる怪人物による自虐ネタが外国に取り上げられて未来永劫極悪国家の汚名を被り続けなければならない事態を惹起してる気がします。
これらももしかすると緻密・周到に計算されたWGIPの一環ならアメリカ政府の狡猾な戦略には脱帽状態です。
検証 - 藤尾
2023/08/09 (Wed) 14:46:23
オーラルヒストリーというのは生々しくて面白いし、資料だけでは読み取れない行間や、秘匿されている事への気づきが得られる…。今回話題に登っている「兵士」たちの話は、まず実体験そのものであろう。実に生々しくて重量感があり興味深い。

しかし、特に高級参謀や軍司令官などが戦後に語った話は、まず、中身がない場合が多いという。肝心な事をはぐらかす、責任逃れするなどは当然で、今でも秘密にされている事が多いという。

・司馬遼太郎は昭和の戦争(日中戦・ノモンハン・太平洋戦争)について書く準備として、様々な人にものすごく長時間の取材を重ねたが、結局書かなかった。隠し事や自己防衛の嘘ばかりで、まるで話にならない。資料と整合性がとれない。資料も、実際のところどこまで本当か怪しい。自身が戦車隊にいて当事者だっただけに、彼らの欺瞞や取り繕いが見え見えで、どんどん書く気が失せて行った、と。
・半藤一利の「日本の一番長い日」が(一回目の)映画化された際、大戦中の陸軍省の元将校たちが試写会を観に来ていて、帰り際に仲間内で、「おい、あの件はまだわかっていないんだな」「わからないんだな(知らないんだな)」と話し合っていたという…。彼らが決して「座談会」などでは語らない秘密がまだまだある…と。戦中や終戦間際の陸軍の秘密はまだある…というわけだ。
・「日露戦史」を、日露戦後、軍が編纂した際、関係する高級将校が一々口出しして、自分たちの作戦や行動の失敗を書かないように圧力を掛けて、実態とはまるでかけ離れた「公式戦史」が出来上がった。
これは同様に、第二次大戦後の、よくある「高級将校の戦史座談会」とかでも、かばいあいで真実はほぼ語られなかった…というのと同じだ。
・戦中も、「本当の事」を意見具申すると、最も危険な最前線にとばされる。僻地の閑職に回されて中央から遠ざけられる…。これが、参謀に対してでも、軍司令官に対してでも、軍学校においてでも、とにかく大から小まで、軍内の様々な階層において行われ、真実を・実態を直視しようとしない。重要な敵に関する資料・情報を得ても、自分(参謀本部)に都合の悪い事は見て見ぬふりをする。(現実を重視し、柔軟に対応した司令官たちは、逆に今日において「こんな立派な司令官・軍人もいた」と本になったり話題になったりしてしまうぐらい希少価値の高い(?)存在というワケだ…)
・統帥権を握った参謀本部が、ほとんど勢いで次々と事変・戦争を起こす。その累積で太平洋戦争に落ち込む。うまくいかなくなると、軍・統帥権の執行者(参謀本部)はヒステリーを起こして誰かを(何かを)スケープゴートにする。身内の弱いヤツを叩く。国民をひっぱたいて、お前が悪いんだ、お前がだらしないんだ、という。
何のための、誰のための戦争なのかまるでわからない。

検証しないわけですよねえ。原因追及は、どうなんでしょうね、(GHQに止められなくても)できなかった…かもしれない気がする。
終戦間際、武装解除と責任追及は(占領軍・進駐米軍でなく)自分たちでやる…と軍は譲らず。東条は国体護持の堅持だけを主張する。(東条は何だかんだ言って忠臣)。自分たちで「武装解除、責任追及」なんて、何を寝ぼけた事を言ってるのか。そんなの通用するはずもなく。この期に及んで、どこまでも内向きで身勝手な軍。


あ、ところで、看護師さんといえば、こんな(↓)のがある。

https://373news.com/_kikaku/war/article.php?storyid=124157&key=1
ミリメシ - マリオ
2023/09/05 (Tue) 14:22:50
一昨年没した父は、幼少期から赤貧の暮らしだったことを終生口にしていた。妹の豊子(私の叔母)は「4歳で栄養失調で他界した」ことを90歳に喃々とする頃も口にし、墓参りには玩具や菓子を供え落涙し、語ったものだ。さて、戦争末期には民間では物資不足は全く良く分かるが、第一線の兵士はどうだったのだろうか?補給と兵站を軽視(と言うか馬鹿過ぎで考えられなかったと言いたい)した無謀な作戦で、全戦死の大多数が最終年に集中しているとか、戦死ではなく戦病死・餓死が実態と聴くと本当に気の毒と同時に指導者の責任は未来永劫この国の歴史と共に糾弾され続けるのだろうな?と思う。軍艦の内部や平時の基地内のミリメシは資料がたくさんあり興味は尽きないが、軍用機内の食事はどんなものか中々的確な資料がない。やれ巻寿司とサイダー持って搭乗したとか、米軍ではおそらくCレーションとAir Crew Lunchを持って乗った、、、B29なんかは機内で温めたAレーションみたいのを喫食してたんだろう。これ当時の日本軍軍用機航空弁当の調製から機内の喫食まで初めて観る映像、、
https://www.youtube.com/watch?v=eH-b8lzWxdA&t=621s
困った趣味 - 藤尾
2023/09/07 (Thu) 20:02:50
やあ、これは凄い。弁当箱というか飯盒というかに、巻き寿司とか幕ノ内弁当風とか。蓋でポットのお茶?を飲む…。すげえ。機内のスペースの狭さとか座席の距離感とかスゲエ臨場感。
この映画の1/2の描写も凄い。未明の整備員たちの出撃準備、高射砲周囲を警戒する歩哨。凄まじいイナゴ。眠る搭乗員の腕時計が32mm径ぐらいでリアルでスゲエ。地上係員と車座になって戦果を談笑する搭乗員…まるで、いつか読んだ戦記物の描写そのまま。凄いスゴいすごい。

     ※

物資不足の件。
角川文庫で、以前NHKでやった「太平洋戦争・日本の敗因」が全6巻で文庫本になって出ていて、昔これ読んだんだけど、最近また再読してる…んだが、とにかく物資輸送のお粗末さにアキレ返って、バカバカしいほど酷くて情けなくって何度も読むのを中断して先に進めないほど。
民需・陸軍・海軍の三者が、輸送船を奪い合う。国内の食料は早々に配給制になり、原油も工業生産のための物資も滞って不足する。敵は大したことは無い、精神力で何とかせよ…玉砕せよ…。

統帥権という魔法を振るった参謀本部・大本営は、自分自身もその魔法にかかってしまい、敵を知らず、己も知らず…で本土決戦を本気でやろうとする。何のための戦争なのか、ぐっちゃぐちゃ…。

     ※

そうそう。最近、「宮崎駿の妄想ノート」とか「宮崎駿の雑想ノート」とか読んでて
「あまり人に自慢できる趣味じゃないんですが、軍事関係の事が好きなんですね。なんと愚かなことをするんだろう…と思いながら、なんてバカなんだろうと思いながら戦記などを読んでいるんです。でも、愚かだとわかりつつも狂気の情熱みたいなものが、どこか好きなんですね。しかし、肯定しているのかというとそうではなく、否定しているんですが、そういう矛盾が整理されないままずーっとこの趣味を続けてるんです…」という記述がある。
シビレる。

宮崎駿といえば、これカッコいい
On Your Mark

https://www.dailymotion.com/video/x7trlil

https://ghibli.jpn.org/report/onyourmark/

https://www.youtube.com/watch?v=opof25mlTSo