過剰な何か 72021

こころの中の「過剰な何か」がワタシを突き動かす…


映画「インセプション」「トランセンデンス」備忘録として

1:藤尾 :

2024/04/28 (Sun) 13:57:24

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_784000/783947/full/783947_1714280245.jpg 映画「インセプション」は夢に関わる話だ。他者の夢に入り込んで情報を盗んだり想念を植えつけたりする…。夢の中でさらに夢に入りこんだり、設計した迷路の市街で夢を展開する。亡くした人の思い出を夢の中で育てる。
人は、外的現実を受けて、それを各種フィルターを経て取り込んだ内的現実を生きているが、この映画では、それを含めて夢と総称している。夢は無意識領域から湧き起こる欲望と内的現実が融合して、睡眠で検閲の緩んだ自我の裏面で場面のイメージや物語を作り上げる。
映画では、亡くした妻は夢の中で生きており、最後は、主人公は残した子供のもとに帰ってゆく。しかし、それもまた夢の中…という形で物語は終わる。そもそも内的現実を生きている私たちにとって、いったい「現実」とはいかほどの意味があるのか?
(無意識も意識も、結局自身の肉体の存在に依拠している。映画では、そこらへんも巧妙に利用してギミックを設定して物語を展開してゆく)
心の仕組みや精神・心理作用の成り立ちに深く刺さるからなのだろう、鑑賞後、ジワジワ来る傑作。

     ※

映画「トランセンデンス」は、量子コンピュータAIに自分自身を複製して、肉体無き後も生き続ける…という話だ。記憶や受容反応パターン等がコピーされ、データ化されたとしても、「自我」は残るのだろうか?
これは、「攻殻機動隊」の電脳空間でも、「2001年宇宙の旅」のハル9000でも、「サイコパス」のシビラシステムでも問題になった件だが、本作ではAIは世界中に自身の分身をばら撒き、文字通り「神」のようになろうとする。(AIは、まず病める者に治療と癒しを施す…一神教の教祖譚そのものだ)
AIの行き過ぎや変調を恐れる妻や、反テクノロジーの一派、国家権力らによってAIはウィルスを仕込まれて機能停止する。しかし、それによって世界中のコンピュータは停止し、電力その他のインフラも世界規模で停止してしまう。AI神の下で天国のような世界を生きる方が人にとって幸せだったのか?神を殺した事は正解だったのか? 神を殺して放り出された人々…は、まるで楽園を追放された人間であるかのようだ。
当初AIは、彼の妻の理想世界の実現という目標や意思を持っていた。しかしネットの世界はあまりにも広大であり、あらゆるネット情報に接続して全知全能となったAIは、「神」の領域を目指さずにはいられなかった。
AIが破壊された後、その分身であるマイクロマシンによって、AIになる前の生前の夫と妻の愛した庭は整備され花を咲かせ続けた…。(これ、どう解釈する?過ぎたるは及ばざるがごとし? 幸せは身近にある? 国破れて山河あり?…人ごときは神にはなれない? もともと望んでいたのは、これだけだったはず…?)

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