過剰な何か

84388
「天の園」の光景 - 藤尾
2025/01/01 (Wed) 10:53:56
「雲」

なにかいいたかった
なにかをいったら
どうにかなりそうだった
なんでもいいからいおうとした

雲をみつめ
雲のゆったりとしたすがたが
あんまりうらやましかったのだ

こころよ どうしてあんなに
ならないのかと…

(打木村治「天の園」第四部 より)

     ※

じーくむんとは短い鉛筆を煙草のように指に挟んで斜に構えた姿で言う。
「雲は無意識領域に抑圧された願望の象徴として連想されたものを投影する」
ぐすたふも丸い眼鏡を光らせて少し上目遣いで言った。
「無意識領域である自己の底は閉じておらず、集団的無意識に通底していて、雲は生物としての原風景を思い起こさせる」
げんぱちは泣きそうになるのを堪えながらボソボソ言った。
「オレは死んだかあちゃんを思い出して泣きそうになった。でもその後、雲みてえにゆったりとした心になるべえ、と思った」
ふゆこが言う。
「悲しい時に雲を見るんだけんど、よけい悲しくなっちまうんです。でもその後、悲しいけんどたのしい…みたいな気がおきる」
たもつが続ける。
「雲は夢の宝庫です。それは子供だけでなくきっと大人にとってもそうだべ」

このしばらく後、たもつとふゆこは東松山の岩殿山のてっぺん、物見山で秩父山脈に掛かる雲を眺めます。ふゆこはたもつにがくんと体を倒しほっぺたをたもつの肩にのっけます。たもつは手をふゆこの肩にまわしてふゆこの頭がすべりおちないよううに支えます。二人とも小学四年生です。
「ふたりで一生あそぶべえ」
たもつよりも少し大人びたふゆこは一瞬驚いたようにためらいますが
二人は小指を出してげんまんをします。

この様子を雲に乗って空から眺めていたじーくむんととぐすたふは、乗っている雲を少し紫色に染めて、二人を祝福しました。二人は自分たちの心が紫にそまったみたいな気がして、ゆめと平和としあわせに満たされました。

このあと、二人は徐々に成長しそれぞれの境遇を歩みます。でも、出会いには必ず別れがあり、別れがあるから美しいともいえる。つらい人生が詩を生み、人を成長させます。

    ※

この物語から110年後のこんにち、東松山の岩殿山には埼玉ピースミュージアム(埼玉県平和資料館)が建ち、展望塔が屹立しています。「天の園」では、保とふゆ子が並んで山頂から関東平野を見下ろし、「汽車のけむりがけぶっているのは機関庫のある大宮町にちがいない」と景色の雄大さを楽しんでいます。
Re: 「天の園」の光景 - 藤尾
2025/01/06 (Mon) 21:00:07
(打木村治「天の園」第五部 より)

諏訪神社境内の「ほらあな大杉」には、文字通り大穴が開いているが、ある夏子供たちはそこにミミズクの子が三羽いるのを発見した。

夏祭りの素人演芸で「源頼朝石橋山の戦い」がかかると、そのほら穴を使った演出をするため、ミミズク一家は邪魔になり殺されるか捕らえられてしまうだろう…。

保とふゆ子たちは、ミミズクの子らを守るために、村祭りの芝居で、今年は「ほら穴大杉」を使わない別の芝居にしてもらうよう画策する決意をする。
しかし、子供らがそんな事を言い出せば仲間から「なまいき野郎!」と笑われたりしないか?そもそも大人たちがそんな事を聞いてくれるだろうか…?

保はミミズクを助けようなどと考えた事を後悔しはじめた。夕焼けに染まる川や山のうるわしい光景を眺めながら、保は母のかつらがつくった歌を思い出していた。夕焼けはやがて色あせて空と山脈はねずみ色にかわった。

・夕焼けにそらのひろさを知りしわれは燃えおちしあとの暗さも知れり


(写真 ↓ 桶川の古い道に佇む石仏。きょうは、これでおしまい…といっているかのようだ)
Re: 「天の園」の光景 - 藤尾
2025/01/13 (Mon) 21:00:03
打木村治「天の園・第六部」を読んで。

同じ時間と空間を伴に過ごし た人たちだが、時が来てみんな散りぢりになり、それぞれの境遇を生きてゆくことになる。
それが、ちょっと俯瞰的に見た人が生きてゆく光景なのだろう。

     ※

喜美子姉さんは横浜の女学校を中退してから家で畑や養蚕をしていたが、遠くへ嫁に行ってしまった。
久仁子姉さんは高等科(おおよそ現在の中学に相当)を卒業する。県知事賞をもらうほど成績優良で、女子師範学校へ進学する希望を持っていたが、製糸工場に全寮制の女工として働きに出る。
経済的に無理なのだ。
保が小学校卒業と同時に川越中学(現在の川越高校だが、当時は五年制でざっくり現在の中高一貫校)を受験するために、それだけで経済的に手一杯だ。それに田舎だけに、どうしても女子教育は軽視されがちだし、時代感覚としてもそれで仕方がないですまされてしまった。
保の同級生にしても、小学校卒業後に高等科まで進む者は限られている。多くは家業を手伝うことになる。

ふゆ子と保の別れは、ある意味凄絶であった。「一生ふたりであそぶべえ」とげんまんしたふゆ子と保だが、保が川越に行ってしまえば別々の世界を生きる事を意味する。
「たもちゃんは高等科なんかへ行く人じゃねえもん、…わかれたっていい!中学へ行きなよ!」
と、保の背を押したふゆ子だが、ふゆ子はカゼだといって卒業式に現れず、その後二人は会う事はなかった。
ふゆ子の家は長屋門を構えるほどの大農家で、彼女は保と同様に毎年優等賞をとるほど出来る子だ。しかし、ふゆ子が高等科へ進んだ後どうなるかは触れられていない。もしかしたら保も、あえてずっと知らないままなのかもしれない。


みな、ちりぢりになって、それぞれの境遇を生きてゆくのだ。


唐子の自然環境は常に彼らの成長と伴にあり、生涯それを思い返すことだろう。
人は結局独りで生きてゆく。いっとき集いあい伴に生きたとしても、いつかちりぢりに別れてしまう。
様々な、誰かとのふれあいを胸に秘めながら、孤寒の旅を行くのだ。
それが人を育てる。
しかし、結局はどこまで行っても人は独りなのだ。
ふゆ子は、心の底からそれを学んだだろう。
久仁子は貧乏ゆえの境遇を受け入れ、行く先に立ち向かう向日性を発揮する。それは自分の問題であり生きてゆくとは自分ひとりの問題なのだと腹をくくったであろう。
保は周囲の仲間や姉たちや大人たちの生きる姿をみて、自分の世界を生きてゆくことを自覚したであろう。
そして世界は広く、これからそれを少しづつ知る事になる。