過剰な何か

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自分の神話を持つということ(その6) - 藤尾
2025/07/13 (Sun) 09:23:20
( 承 前 )

さて、いよいよやっと「自分の神話」を語る回にたどりついた。
日本で神話を語るのは、先の大戦を経たために極めてセンシティブで細心の注意が必要だ。そのため、(その4)の回では延々と時間と文字数を費やした。

     ※

1.外的神話と、自分の神話

・伝統的な神話は、共同体の正当性を物語るいわば外的神話だった。
それは当初、小規模部族の出自を物語る伝説の伝承だったもが(例えばネイティブアメリカンの神話)、集団の規模が大きくなり支配階層が生まれると、神話は統治の正当性を語る物語に変質した(例えば記紀神話)。
或いは、自然の神秘の中を生きる人間が、不可思議な自然現象や自然界の像作物を人間的な物語として語る。自然のあり方が、人間のありかたや考え方を支える。自然も人も一体としてとらえて、それを確信をもって生きる…という神話。(例えばギリシャ神話)

・それに対し、「自分の神話」とは、自分の内面を照らし支える個人的な物語…ということになる。人間は外界との関係だけでなく、自分の内的な世界とどう関係するか…が大きな課題だ。

まず思いつくのは、既存の神話の登場人物やエピソードを自分の内面や経験の比喩として再解釈する、という方法だ。自分の内面に響く物語を思うとき、過去の神話と通じるものがあるとすれば。
(以下は、かなりいい加減な雑談として…スサノオの衝動性、アマテラスの光明や調和。雨の岩戸の抑うつ状態、オオクニヌシの開拓精神、スクナヒコナの機知による手助け…これらのいわば外的な物語を、自分個人の出来事に関連付けたり、心理的・内的な心の動きと重ね合わせて解釈・理解・納得する…。以上、茶飲み話的な雑談終了)

或いは、科学的な思考や理解は原因を教えてはくれるが、それが自分におこった理由は説明してはくれない。この理解の一助として神話物語はリンクすることがあるかもしれない。
いずれにしても、キモは、自分の人生を自分の物語として再解釈して納得的に受容する。ということだ。そしてさらにそれ(内界)が社会や自然(外界)の中での出来事であると認識することによって、内界と外界がリンクする。
それは過去だけでなく現在から老年期に至るまで世界と肯定的に関係を持ち歳と共に役割や務めが成熟する…という物語であることが望ましいかもしれない。
生まれ、育ち、学び、役割を果たし、さらに成熟した位置に立ち、最後はそれさえも手放してゆき、自然へ還ってゆく…。
自分の内面を照らし支える物語。


2.「自分の物語」と「自分の神話」の違い

(1)大まかな認識
そもそも「自分の物語」ではなく、なぜわざわざここで「神話」という言葉を持ち出すのか、再確認してみる。「私の神話」とはどんなものだろう?
・単なるお話や物語の外面ではなく、内面の自己、自分にとっての意味、外界と自分の関係、大きな自分の物語の流れへの導きやいざないが暗に語られるもの。
・科学的な視点にもとづく原因ではなく、その出来事の自分にとっての意味が暗示されるものであること。
・単なる自分事におわらず、ヒトの共通的な無意識にまで遡りうる物語であること。
・自分個人の物語であることにとどまらず、人間全体の根源的な物語にまで及ぶ物語であること。
・物語によって過去を納得的に再構築し、神話によって未来に導くもの…であること。

(2)分析的な認識
以上を言葉を変えて繰り返すと、「普遍的無意識」に触れる物語、ということになるだろう。
・自分の無意識の世界に触れる物語であること。出来事やエピソードを単に事実として認識するのではなく、自分の中のどんな理由とつながっているかという深みとの関連で解釈する。
無意識からの情動は、ある意味「本当の自分」である。
経験が自分のどんな無意識の欲動に基づいているか、接続する。
無意識は、より広いヒト共通の何事かに繋がっている、或いはそれが出自でもある。
さらにそれは、自然を生きる生物としての、ある種本能的な何事かに通じている。

(3)本質的な認識
「神話」は、個人の無意識が集合的無意識に触れる物語である。
「自分の神話を生きる」とは、自分と言う個人の人生を通じて、人間全体の根源的な物語を生きるということに通じる。
そのなかで、自分は何者であるかという確認と納得を得る。
現状の理解、経験や出来事の意味づけ、象徴的物語に意味づけする。
対外的に何をするかだけでなく、精神・心理的にどんな自分であろうとするかが提起されるであろう。
そのうえで、外的世界とどう関わって生きるか、何をするかが問われるだろう。
科学的な原因の説明でなく、理由の納得…の物語。

❤例えば、写真家ハービー・山口が、世界平和や相手の明日の幸せを願いながら写真を撮るような

★つまり、「内奥の納得と自分の行為の接続」

(4)クールダウン
「自分の物語」の場合、自身の成育歴に即したエピソードの連なりで、自分史のようなものになるだろう。
「自分の神話」という場合、単に外界におけるエピソードではなく、内面の構造・意味・象徴性を軸にした物語になるであろう。
物語の意味づけや、世界と同期した関連が想像される物語となるであろう。
単に現実の出来事の記述でなく、内奥の動きへの影響や、逆に内面からの情動と外界での出来事の関連などが語られるだろう。
さらに単に情動や欲望で終わるのでなく、その大元、心理の普遍性や象徴や原型といったものから発する動きであることが暗喩されたりするであろう。
そして、それは現在や将来、自分があるべき人間像を示すであろう。


3「自分の神話」を構築する条件

この「自分の神話」を胸の内につくるのに、必須の条件がある。
心的な防衛機制を自己分析の過程で破ってゆくこと。自分の心の中の自己欺瞞や怯懦や嘘と正面から戦うこと。自分自身に対する言い逃れや、言い訳や、嘘や、すり替えがあるほど、「自分自身の神話」は、嘘の装飾や捻じ曲げたストーリーが邪魔をして、効力が弱くなるだろう。
過去を振り返って経験や想いを視点を変えて再構築するのは構わない。しかし、そこに心からの納得が無かったらそこから物語はほころび破綻するだろう。

★最重要事項…決してスピリッチャルに陥らないこと。

( 未 了 )