過剰な何か

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スコールに打たれて(「自分の神話を持つこと」補講) - 藤尾
2025/12/13 (Sat) 10:42:54
戦前的価値観というと、つい「天皇陛下バンザーイ!」と叫んで突撃して玉砕するシーンを思い浮かべがちだが、そういった感覚の国民的雰囲気というのは、ごく限られた時期のものでしかない。極論すれば、第二次世界大戦中期以降の数年間のものでしかない。

明治帝が崩御した際は、尋常小学校の校長先生が朝礼で仰々しく話したり、旧庄屋階級の家に近隣が寄り集まって世間話的に話題にする程度であった。一般庶民はどこ吹く風であった。もちろん、日露戦争で勲章をもらった者が涙を流すとか、激烈な天皇崇拝者はいたが、それは国民のごく一部でしかなかった。天皇の存在とは、明治・大正・昭和初期においては、その程度の位置づけでしかなかった。(昭和天皇崩御の時、商店街の派手な照明を控えめにするなどという雰囲気があったが、明治帝の際も、それを想像すればよいだろうか)
そりゃそうだろう。明治維新以降、新政府が無理やり天皇を表舞台に引っ張り出して国家の元首に据えて、学校教育やら新聞で天皇のブロマイドを付録にして撒いたりするなど大宣伝して、やっとこコクミンに天皇を認識してもらえた…という程度の位置づけでしかなかった。

それが怪しく過剰になり始めるのは、1935年に「国体を否定する不敬な説である」として美濃部の天皇機関説が否定されるという象徴的な出来事があったあたりからだろう。右翼や軍部の本格的台頭により、それからは坂を転げ落ちる勢いだ。
この頃から「天皇」という言葉は、脅し文句として使われるようになり始める。「もったいなくもかしこくも、天皇陛下からお預かりした兵器である!」とか。「不敬である!」とか。「皇居遥拝!」とか。「統帥権侵犯!」とか。「陛下のために命を捨てろ!」とか。小学校から軍隊まで。特高警察や憲兵隊が実力行使して恐怖政治を煽る。

教育勅語は1890年からありはしたが、学校教育の場でこの頃からさらにそれが狂信的に重要視される。軍人勅諭も1882年から存在したが、それが病的にまつり上げられはじめ、1941年には東条英機の「戦陣訓」に至って、捕虜になることを厳しく禁じるという狂気に凝縮するに至る(この戦陣訓=捕虜になることの禁止=徹底抗戦命令、或いはその派生形である玉砕命令によって、何万人無駄に死んだか? コイツ(東條英機)が靖国に合祀されてるんですよ、狂気の沙汰か冗談かでしょ?それによって死んだ(殺された)兵士と、殺した者(東條)が一緒に祀られる。どういう厚顔無恥?これは東京裁判とは無関係にアウトでしょ)

或いは、老舗部隊で精緻で精巧に機能するよう鍛え上げられた戦車第一連隊などでは、部隊内で、わざわざ天皇を持ち出すことなどほぼ無かった。それに対して人員の入れ替えも多く、弱兵が補充されてくる歩兵部隊では天皇の名を出して部隊を急ごしらえし、天皇陛下バンザーイと突撃させたりした。本項冒頭のとおり、大日本帝国の歴史の中でもほんの一時期の狂気と集団幻想だ。

昭和初期までは、陸軍士官学校においてさえ右翼思想を持つ者は要注意人物とされた。当然だろう。軍隊は整然たる機能によって動くものであり、思想で動くものではない。
(昨今、防衛大学内において右翼思想を持つ者が盛んに活動しているという話は、コレを思い出して寒気がする。狂気の沙汰だ。国家の道・国防の道を誤る、憂うべき事態だ。例年この時期行われる防大生(任意の)恒例「東京行進」を賛美する者もいるが、それがいかに危険で偏った逸脱行為であるか気付くべきだ。なぜコレが正式な学校行事ではないのか? 当然だろう。アウトだからだ)

     ※

病中なのだが、体調が穏やかな時、アドビ・フレスコで「これがわたしの国なんだ。あなたは?」と題した絵を描いている。日本の古代から、特に近現代史の出来事を絵の中に散りばめる…という構想だ。

そんな中で、今「太平洋戦争中記~末期、南方戦線のジャングルでヘタレこんで全身にスコールを受ける日本陸軍兵」というのを描いている。(これ、「兵隊さん日記」という漫画からインスパイアされて描かずにいられず、大幅に加筆したものだ)
今日、日本史を語る上で、絶対に外すことができない場面だ。先の大戦における230万人(民間人を含めると310万人)以上の死者の多くが、戦死ではなく餓死・病死だ。
僕は、戦史、戦記など多く読んで、それなりの耐性を持っていると思っていたが、この絵を描き進めるうち、自分事に思えてきて気分が悪くなりなかなか描き進めなかった。なんてこった。日本を遠く離れた聞いたこともないような太平洋の孤島で、こん目にあわされるなんて…!持たされた兵器は古色蒼然たる、まるで元亀天正の頃の装備だ。食料の補給は無い。日本は我々を見捨てたのか? 降参することも許されない。生きて帰れる望みも無い。仲間は飢餓と病気で次々と脱落してゆく(文字通り、野垂れ死んでゆく)。

うわあ…。もう、これ以上描き進められない。


現政権の愚かしさと重ね合わせ、描かずにいられなかった。

最後の土産(「自分の神話を持つこと」補講) - 藤尾
2025/11/28 (Fri) 10:12:49
首長や議員の辞任問題が必要以上に騒がしく、或いは面白半分に毎日報道される。不倫、セクハラ、学歴詐称、収賄…。彼らが非難、糾弾されて追われてゆくのは当然だろう。精神身体的に苦痛を受けた被害者がいる場合、なおさら責め苦を負わされても仕方ないだろう。法的、道義的、倫理道徳的、心情的に追及されるのは当然だろう。
しかし、報道で「市民の声は」という形で差し挟まれる一般市民のコメントが取って付けたようで違和感満載で見ていられない。

そりゃあ渦中の、やっちまった連中は悪い。でも、長く生きていると誰しもが形は違えども何かしら類例のようなことを「やっちまった」ことが例外なく全員、あるはずだ。あのTVのインタビューを受けて答えているオバちゃんやオッチャンにも、何でも知ったような高説を垂れるワイドショーのコメンテーターにも、そして私にも、「やっちまった」ことがある(はずだ)。

「だから事件の渦中の者たちを非難する権利は誰にもない」…などとは間違っても言わない。
ただ、心の奥底のどこかで、「誰しもがやりうることだ…」という認識は持っておきたい。かつて自分も(誰しもが)どんな形であったにせよ、必ず何かしら「やらかして」いるはずだ。
「中年期の危機」を経た者は、その嵐の中で何かしらやってしまったはずだ。激しい青年期を送った者は、その過程で幾多の過ちを犯したはずだ。厳しかった親子関係、緊張感に満ちた夫婦関係、かみ合わない子供との関係、仕事上の地位を得てつい高慢になってしまったこと…。など、何かしらの場面で、人それぞれに踏み越えてしまったことがあるはずだ。必ず。

だから、報道されるニュースを観て、自分も決して潔癖ではない、自分があの立場に立ったかもしれないという感覚は、胸の奥で小さく持っておきたい。

     ※

乙女三十三観音で著名な会津・西隆寺の遠藤太禅の著書「観音の風光」で、死への最後の旅で土産に持ってゆきたいのは「素直な心」だ…、という事を繰り返し書いているのを思い出す。
いまさら、それが深く胸にしみる。本項で述べたことも、結局そういう事なのだろうと感じる。
Re: 最後の土産(「自分の神話を持つこと」補講) - 藤尾
2025/11/28 (Fri) 13:50:00
とは言うものの、カイシャで賞与前に自己査定・自己評価とかさせると、五段階評価で全評価項目で、最高点の「5」と自己採点してくる人が、必ず一定数出現する。いやいや、あなた、どの項目も3で、4が付く項目さえ無いんじゃない?少なくとも期待外れとは言わないけれど月並みだよ…という人が。
或いは、この人の全人格を否定するわけでは決してないけれど、カイシャとしては仕事の評価に関しては全項目2だなあ…という人が3や4が並ぶ自己評価をしてくる。
こういう人って、(自己採点の基準を読んでいないのでなく)本当にそう思っているフシが見受けられてゾッとさせられる。

ことほど左様に、人は自分の姿が見えない。「いや、自分は週刊誌沙汰になるような事は生涯、絶対しない、あんな問題を起こすような奴らと自分は違う」とか思う人も、多いのだろう。或いは、どこかで自分の穴に気づいていても、それは決して認めないという人も多いということだろう。
きっと、それも地獄の一つなんだろう。
Re: 最後の土産(「自分の神話を持つこと」補講) - 藤尾
2025/12/03 (Wed) 08:59:00
「働いて働いて…」が流行語大賞の件。
恥ずかしすぎる。露骨な出来レースが恥ずかしい。さらにそれをマスメディアが報道の名のもとに流すのが恥ずかしい。そして嬉々として会場で受賞する我が国の首相が恥ずかしすぎる。恥ずかしくて正視できない。
日本は、こんなクニになってしまったのかという情けなさ、悲しみ、焦燥…もう、あきれ返るしかない。これをやってのけてしまう感覚がとにかく恥ずかしい。

TVニュースの「市民の声は」で、インタビューに答えて正論っぽいことをシャアシャアと答えるおっちゃんやオバハンたちも恥ずかしいが、それの数万倍大規模に今回の「流行語大賞」は恥ずかしい。

「日本陸軍関連の映画」の回で語った、敗戦直後、米進駐軍が来ると知り、戦争でもうけた財閥のご令嬢や家族連中が別荘地に車列を連ねて逃げ出す話を改めて思い出す。政府も政商も絶対に信用しないのだと誓った恩師の怒りを思い出す。
思えば首相はかつて、「放送免許をはく奪するぞ」と恫喝した人物だ。今回のプロパガンダぐらいの事は、平気でやってのけるだろう。

そりゃあ僕だって企業の中枢にいて経営側の立場に立っていた時は、あくどい事もやった。一般従業員とは、どうしても視点が違うのだ。でも、できる限り従業員の不利にならないように道をさぐりながら、慎重に気を使ったつもりだ。でも、それでも傷ついた人も多かっただろう。だから僕は、地獄行は確定だ。現首相は、そんなふうに内省することがあるだろうか…?あるいは現在、修羅道の地獄の真っ只中といったところか?
納得の体系(「自分の神話をもつこと」補講) - 藤尾
2025/11/01 (Sat) 11:45:01
今日は「犬の日」で…というわけでもないのだが。

宗教の定義の一つに、「死生観を伴う納得の体系」というのがある。
科学的、論理的な証明や説明ではなく、物語として腑に落ちる納得が、人には必要なときがある。
本項で語りたいのは、もっとプリミティブで日常的でささやかな納得の物語だ。

     ※

飼い犬が老衰で亡くなった。けっこうジワジワ効く。正直、親の死よりも悲しい。犬は完全に人の保護下にある存在だったからだろうか。(永遠の子供のように)

「先に逝った犬のお友達が、虹の橋の下で待っていてくれるよ」などと言われると、もういけない…。
「亡くなる前日、犬のご飯を台所で作ってたら、キリっとこっちを見て、ワン!て言ったんだ」「それはね、今までありがとうっていう最後の挨拶だったんだよ」などと言われるともう胸がいっぱいになってどうにもならない。

虹の橋の下で先輩犬が待っているわけなんかないし、早くメシよこせ!と、ワン!と言ったのかもしれない。
でも、そういうファンタジーみたいな物語が、深く深く胸にしみる。そして、喪失感を包んでそれを温かく溶かしてくれる。高齢による多臓器不全のために亡くなりました…などという原因→結果の話などどうでもいいのだ。きっと幸せな日々を過ごせたはずだ、そして穏やかな最後を迎えられたはずだ。死後も天国で楽しく過ごしているだろう。そんな物語を信じたいし、なぜだか、きっとそうだと思える。

     ※

近所のショッピングモールの一角に、保護犬・保護猫の団体が、不要になった犬猫用品の寄贈依頼棚を設置している。そこに使用しなかったペットシートやドッグフードなどを持ってゆくと、棚はあふれんばかりの状態だった。猫砂、フード類、遊具類など…。好みが変わって食べなくなったフード類もあろうが、多くは亡くなったペットたちのものだろう。棚に持参した物を乗せていると、「先輩犬たちが虹の橋の下で待っていてくれるよ」という話が、きっと本当なのだろうと思った。

     ※

これが土俗信仰、祖先崇拝信仰の祖型だろう。
後に宗教は世界の成り立ちの説明や、倫理道徳社会規範にまで言及し体系化するようになるが、こんな死生観に関する納得の物語が、おおもとにあったのだろう。
Re: 納得の体系(「自分の神話をもつこと」補講) - マリオ
2025/12/01 (Mon) 23:27:01
あのシャープな肢体(桑田次郎の超犬リープを彷彿)の愛犬が永眠と聴き、大変御愁傷様です。ファンタジーと言われるかもしれんが「愛する飼い主と、虹の橋を渡る為に、待っていてくれている」と信じて、心が温かく・救われる気持ちって原始信仰の当初の姿だったんじゃないかなぁ。また、最近読んだ話では「可愛いなぁ」と言われ続けた愛犬は、それを名前と勘違いして記憶し、天国に行った際、天国の受付で名前を訊かれ「えーっと僕の名前『カワイイ』じゃなかったかな?」と答えてしまうそうだ。
「あの世はある」と、著名なターミナルケアの医師もそう言っているが、唯物論コテコテの(でも僕は愛読している)青木雄二氏は完全否定←冷静に考えれば当たり前
それでもそのファンタジーで心が救われ、来世に希望もてるならそれで良いと思う。何せ現世で不可能だった悲しき願いは、本当に不可能で最後まで想いは残るものだ。
Re: 納得の体系(「自分の神話をもつこと」補講) - 藤尾
2025/12/02 (Tue) 16:27:13
ここら辺で人が亡くなるとだいたい公営の大宮聖苑で火葬されるのだが、そこにペット専用焼き場が併設されていて、そこでお世話になった。係の人の
「動物さんですね」
という案内で静かに進行してゆく。骨を骨つぼに収める手順も人と同じ。最後に頭蓋骨を壺に納める。小さくてカワイイ骨だった。
今も、ことあるごとに思い出してダメだ。15年も一緒にいて寝食を共にしたんだからしょうがない。
こんな時に必要なのは、納得の物語だ。科学の出番じゃあない。
散兵線の花と散る(「自分の神話をもつこと」補講) - 藤尾
2025/11/16 (Sun) 14:50:56
1.最近頭を去来する雑多な事など

・人は他者を叩きたくてウズウズしている。少しでもその機会があれば、たちまち自分を正しい側、被害者の側と主張して大喜びで他者を攻撃する。

・自分が何を見たかではなく、光景が何を訴えてくるかを描写する。

・まずベースレイヤーに国際関係がある。戦後、米中露など覇権国家のいずれかに隷属しないと、それ以外の規模の国や地域は、独立国としてやってゆけない。

・人の行動は、その前の出来事やその時の気分の影響を受け、本来持つ資質や性格を超えて何をしでかすかわからない。

・医療ドラマを観て医者という職業にあこがれるという方向ではなく、職務に前向きに取り組む姿勢に胸を打たれるという方向の気づきを得られたら素敵だ。

・冥途が近づき、SNSに接する時間がどんどん減ってゆく。ネット開闢期から言われ続けたことだが、ネット空間・SNS空間を流れる情報の98%はゴミカスだ。たしかに、いろんな人が様々な状況でいろいろ思ったり考えたりしているんだなあ…と改めて思わせられるが、それらは自分とはほぼ何の関係もない。

     ※

2.旧・日本陸軍に関する映画と「散兵線の花と散れ」、そして現代を生きるということ

「人間の条件」「戦争と人間」「太平洋の奇跡フォックスと呼ばれた男」「血と砂」「真空地帯」「兵隊やくざ」等などを連続して観て、いい加減お腹一杯になったのだが、「歩兵の本領」の歌詞「散兵線の花と散れ」が頭の中をぐるぐる回る。

「散兵線の花と散れ…」か。いかにも近現代風で不思議と胸を打つフレーズだ。神は死に、自由の刑に処せられたはずの人間だが、実は自我の構成上、社会や他者との関係から離れることが出来ない。
古典的な軍隊の「密集隊形」ではなく近代以降の各兵士が距離を取ってバラバラに展開する「散兵線」。人は他者や社会と(部隊と)繋がっているのか、バラバラに離れた(孤立した)存在なのか?各個の蛸壺に立てこもって敵に(社会に・他者に)対峙しながらも、部隊の連携のもと各個の役割を(娑婆において自分が属すると自己規定した社会の役割を)担っている。
散兵線は、近現代人の生き方の風景そのもののようで、何だか妙に胸を打つ。「各個に生きて各個に死んでゆく」。散兵線の花と散れ…。

散兵線の花と散れ。軍歌でそう描写されると、その単純化と突き放した潔さによって、脱文脈化されて美しく感じてしまう。しかし、個々人の実態、各人の心中は百人百様で、潔く死んでやると思う者もいれば、こんな所でバカな死に方をしてたまるかと思う者もいるだろう。この手の軍歌は、組織や国家を統べるものからすれば、統治者側の視点からの価値観を兵士に注入するのが主目的であり、当然、個人の視点を突き放した論理・感情へ方向づけるために利用することになる。だから進軍時にこれを歌う。
しかし、個人の心情に立ち返ると、当然ながらそれとは違う世界が広がっている。軍隊はマインドコントロール無しには成立しない。

さてしかし、それにしても、散兵線の花と散「れ」でなく、散兵線の花と散「る」と主観に近づけた場合、現代社会に個人として生きて死んでゆく様子を描写するかのようで、深く胸を打たれる。「散兵線に花と散る」。僕は死んだら野道に咲く名もない花になって、ただただ風に揺られて佇んでいるんだ。
Re: 散兵線の花と散る(「自分の神話をもつこと」補講) - マリオ
2025/11/18 (Tue) 18:57:26
散兵線なる言葉を今初めて知った。そういえば数日前の新聞(購読していないので拾い読み)に、第二次世界大戦の犠牲者数は、日本政府の公式見解310万人より50万人くらい多く、360万人だったと言う記事が有った。理由は統計が焼失・散逸・隠蔽されたのと、そもそもどこまでが日本か?の地政学的見解もあり、、、、色々書いてあったが、台帳が焼失したものは、当時の生存者の人数(人口統計)すら不明ってことが淡々と書いてある。今でも御帰還叶わず熱帯の風雨に晒される御遺骨は元より、そもそも戦闘員でない死者の魂の救済とか補償はこの後もうやむやに行くのだろうなぁ。アマプラでけっこう多くの戦記映画も観られるし、興味津々だった兵器(特に航空機)のことは、大体ネットで把握できる。良い時代とは言わないが、反省の材料はたくさん、、、、
Re: 散兵線の花と散る(「自分の神話をもつこと」補講) - 藤尾
2025/11/22 (Sat) 14:12:05
戦死者数の件。軍人だけでなく民間人も含めて、あの時代に、こんなにも大勢が日本本土を離れていたのかと驚かされる。商売の都合で軍と行動を共にとか、一山当てようとか、流れ流れてとか、強制移民とか、強制徴用されてとか…様々な理由があったのだろうが、実数は不明なのだろう。さらに言うと、日本が植民地化していた人の、移送先での戦災による死亡数など掴めない(掴まない?)数にのぼるだろう。
凄い、いや恐ろしい時代だ。

     ※

本項で列挙した旧日本陸軍に関する映画は、戦争を実体験した者がまだまだ戦後社会で中壮年として現役で活躍している時代に作られたものなので、以下のような映画描写にほぼ嘘は無いだろう。
・日本軍の、前線での現地住民に対する略奪・暴行・殺戮の実態
・参謀本部が統帥権を盾に日本政府とは無関係に戦争を拡大してゆく
・満州の関東軍の、東京の参謀本部さえも無視した暴走
・敗走した部隊司令官に責任転嫁して、切り捨ててゆく
・商社やメーカーが軍部と一体となって儲けてゆく
・内務班での、古兵による新兵への暴行・私的制裁などムチャクチャな暴力
・軍隊と一体となった日本人・韓国人等の慰安婦の実態
・恐慌で娘を身売りに出さなければならなかったり、海外移住しなければならなかった農村
・満蒙で一儲けを目論む民間人が、軍部を突き上げる
・憲兵隊・特高警察の恐ろしさ、理不尽さ(これが今、復活しようとしている)
等などがこれでもかと描写される。

これらの映画がつくられた時代は日米安保闘争の「政治の季節」真っ只中で、全体的に左翼的な気分が強く、本項で挙げた映画も現代の目で見ると驚くほど左翼的だ。(親譲りの糞リベラルの自分からみても左巻きの表現が多くて驚かされるw)しかしそんな映画でも、敗戦直後のソ連軍による日本軍捕虜の強制労働が描かれる。さらに、日本敗戦後、大陸での中国人・韓国人による日本人への逆襲・暴行が生々しく描かれる。いかに日本軍・日本人が侵略先で現地民に横暴の限りを尽くしていたか…ということだろう。昨今のネトウヨたちのお花畑ぶりが心底から阿保だとわかる。

陸軍二等兵だった僕の父の愛読書の一つが大西巨人の「神聖喜劇」(陸軍内務班における古兵による理不尽な新兵いじめを主人公が記憶力を武器にして、陸軍刑法を盾に対抗してゆくさまを描いた小説)だったことを思うと、これら日本陸軍を描いた映画で必ず描写される内務班での新兵いじめが嘘や誇張の無い実態だったのだろうなと、胸が痛む。

僕の大学の恩師が話してくれた、「敗戦で米進駐軍が来ると知ると、戦争中大儲けした財閥などのご令嬢や家族連中が、夜の国道を煌々とヘッドライトを灯し車列をなして別荘地に避難してゆくのが数晩続いた。これほど日本に豪華な自家用車が温存されていたのかと驚いた。むろん、米兵による暴行や略奪、接収を避けるためだ。自分はバラック小屋でそれを眺めるしかできなかった。それから自分は政府も大企業も絶対に信用しないと心に誓った。」という話を思い出した。

戦争の目的は敵の政体をくつがえすことだ。なにも純軍事的に占領する必要は無い。例の米軍による中国の台湾進攻シミュレーションは、多分に政治的プロパガンダにすぎないだろう。それなのに我が国の首相は大間抜けな発言をして…。おまけにNTT法にも手を付けるのだという。売国奴だ。どこを向いて政治を行っているのか。凄い、いや恐ろしい時代になったもんだ…。

(↓ 吉永小百合が初々しくて、ぶったまげるwww当時25歳ぐらいのはずだが、二十歳前後にしか見えない…。夜のベランダで戦地にいる夫の名を叫ぶ場面は鳥肌ものだ!!「さゆりスト」というファンが湧き出たのが納得できる)
RAW現像(「自分の神話をもつこと」補講) - 藤尾
2025/09/23 (Tue) 11:08:34
写真は、ほぼJPEG撮って出しで充分だ…という僕なのだが、こういう明暗差の激しいシーンの場合はRAW現像したくなる。

RAW現像ソフトは様々使ってきたけれど、今はDxO PhotoLab8ばかりになった。
このソフト、デフォルトだと、とにかく「明るく鮮やか」な絵に持ってゆこうとするのが難点で、なんとも現代的というかパッと見キレイなだけの素人臭い絵になりがちなのだが、ちょっと調整してやると透明感と深みのある良い絵に仕上げてくれるようになる。
あと、「微細コントラスト」を調整すると、明瞭度を下げる効果が得られ、ともするとバキバキな絵になりがちなデジカメ写真のデジタル臭さを緩和することができる。
DxO PhotoLab8でそんなふうに現像して、必要に応じてフォトショップで部分加工する…というのが現在のRAW現像の流れだ。


SNS上でしばしば燃え上がるRAW、JPEG論争だが、必要に応じて使い分ければよいだけの話だ。趣味の世界は、ともすると自我の安定を掛けた必死の生き残り戦略の投影になりがちだ。自分の方法や好みに反する他者を攻撃して、自己の優位を捏造して自我の安定を図ろうと企てる。
(これはもちろん、趣味の世界だけにとどまらず、あらゆる分野においてこの力動が発動される…様々な社会間で、政治的志向の間で、食べ物の好みについてで…)
せっかく爽やかな季節が来たのだ。今日は知ったような説教臭い話はヤメにしておく。

(写真 ↓ 以前、彼岸花の季節に撮ったもの。JPEG撮って出しでは、背景の森が黒つぶれし、手前の河原が白飛び。川面もドンヨリと冴えない色だったものを、RAW現像して救済した。このソフトは、古今のデジカメボディの絵作りもシミュレートしてくれて実に面白い。今回はフジのGFX風を選択してみた。良いですねえ…)
Re: JPEG撮って出し(「自分の神話をもつこと」補講) - 藤尾
2025/09/28 (Sun) 13:39:54
この写真は、いろいろいじってみたけれど、結局JPEG撮って出しのままでいいや…となった一枚。
開山堂の暗部を持ち上げて赤い壁面をもっと出すとか、やろうと思えばいくらでもできるのだが、このままの方が重厚な雰囲気があると判断した。新緑の爽やかさとの対比で、絵全体としての味わいが増している。

10年以上前のカメラボディ+キット販売の標準ズーム、絞りF8。これだけ絞っちゃうと安価なレンズも高価なものも、ほぼ差が無くなる。カメラボディも安価で古いものだが、もう充分な性能で、よほど特殊な撮影でない限り、すでに充分完成の域に達している。


あとは、そのカメラが「どこかへ連れて行ってくれる」という胸の高鳴りをもたらしてくれるかどうか、だけがカメラ選びのポイントだろう。

それは、驚くような最新スペックの機種なのか、かつて自分にとってベストな一枚が撮れた機体なのか、素晴らしいデザインをまとった機械なのか、歴史的意義を持つカメラであるとか…人それぞれ、或いは持ち出す場により様々だろう。

Re: スナップショット(「自分の神話をもつこと」補講) - 藤尾
2025/10/06 (Mon) 19:31:26
長い間、趣味として写真を撮っているが、結局ストリートスナップショットが一番好きだ。街中の光景を撮ってゆくのだが、点景として人物が入っていると、俄然、写真が生きてくる。
しかし昨今、(本当はそんなものは無いのだが)肖像権とやらがうるさくなって、人物が入った写真を撮ったとしても公表しずらくなった。SNSの急速な浸透と歪んで肥大した権利意識、過剰な個人情報意識によるものとはいえ、まったくバカな世の中になったもんだ。盗撮とスナップショットを、文化的な無知から、又は悪意をもって或いは面白半分に混同する風潮にもウンザリさせられる。

     ※

さて、今回の写真は奈良の元興寺で地蔵盆の万燈供養に合わせて催されていた「満腹供養」での一枚だ。元興寺近隣の飲食店が境内に屋台を出して、地元の人や観光客で大いに賑わっていた。そこの一軒でホットドックを買って、
「うわー、写真より実物の方が十倍旨そうですね!いただきます。あ、記念に写真一枚いいですか?」
と、にこやかに声を掛けて、片手でデカいカメラを構えて撮ったもの。

素敵な写真が撮れた。彼女たちに心から感謝したい。こういう写真を観ていると、カメラの性能がどうだとか、レンズの性能の良し悪しとか、どこそこをレタッチしてああすればもっと良くなる…といった話が、本当にどうでもいい事だと思えてくる。
この写真を観るたびに、奈良盆地の8月の熱い日差しや、屋台村の喧噪、玉砂利を蹴りながら歩く地元の子供たち、ケチャップとソーセージの肉汁の味、これから始まる万灯供養…などを思い出して、なんだか胸がいっぱいになる。
(もちろん、適材適所なカメラ機材選択は重要だ。そしてこの写真でも、RAW現像で明暗などに少し手を入れている。でもそれらは枝葉末節であり、この写真の本質を前にしては、ちょっとした味付け程度でしかない。それら(機材や後処理)ばかりに気をとられるようでは、本末転倒だ。自戒を込めてw)

写真を撮った時は気づかなかったが、店のテントの背後に石仏が並んでいる。後からこんな発見があるのも写真の面白いところだ。
Re: カメラボディ内RAW現像(「自分の神話をもつこと」補講) - 藤尾
2025/10/09 (Thu) 11:28:12
カメラボディ内RAW現像が好きだし、大いに重宝しています。休憩の喫茶店だったり、帰路の電車内とかで今日撮った写真をざっとセレクトして、カメラ内RAW現像で微調整して仮仕上げをする。場合によっては、それで完成になる。(主にいじるのは露出、暗部や明部の調整、ホワイトバランス、コントラスト、明瞭度といったところか)
楽しいですね。至福のひとときです。

様々なカメラを使ってきましたが、なぜかSONY機にはカメラ内RAW現像機能が入っていない。これには本当に驚かされました。ただでさえSONYの色味が好きでない上にカメラ内RAW現像ができないとは…。
こう言うと、「出先であっても、写真データをノートPCやスマホ或いはタブレットに転送して、そこで現像なり調整できるじゃないか?」という声が聞こえてきそうですが、カメラで完結したい…とか、そのカメラ独自の色味や味付けを楽しみたい…という、気分の問題なわけです。

今回の写真も、撮影後に延々と自転車をこいで、クールダウンを兼ねたマックでのコーヒー休憩のひとときに、チャチャッとカメラ内RAW現像で仕上げて完成させたものです。露出補正を-0.7に、ホワイトバランスをオートから太陽光に、さらに周辺減光補正を切って、夕日の雰囲気を出しました。
やっぱり、Canonの記憶色の描写は素晴らしいですね。フジの色使いや明暗の味付けも好きですが、Canonの安心感は揺るがないものがある。フジは、カメラボディ内RAW現像時にフィルムシミュレーションが選び直せるのが良いですね。(自分流の下手なRAW現像をするんじゃあなくって、こんなふうにメーカーの絵作りを楽しみたい時があるワケです。素直にメーカーの絵作りを寿ぎたい気分の時って、ありませんか?)

     ※

ちなみに、この時の機材はCanon EOS6D Mark2 + EF35mmF2 です。このレンズは1990年発売のデジタル対応以前の緩い設計のモノで、ご覧のとおり画面周辺部は派手に崩れてしまっています。絞り解放で撮っているので、なおさら顕著にそれが出ている。この写真の場合それが欠点ではなく、視線誘導や、中心となる被写体を浮かび上がらせて立体感を出すなど、絵全体として雰囲気を醸し出す一助にさえなっている。描写は、線は意外と細いが暗部のコントラストが高めで黒く落ちるのが速い。決して高性能レンズのような描写ではないけれど、ドラマチックで味わい深い絵に仕上がりました。

Re: 旅の写真(「自分の神話をもつこと」補講) - 藤尾
2025/10/11 (Sat) 17:18:29
幸いにも様々な旅を経験することができた。それらを思い返すとき、外すことができないのは奈良、京都で過ごした地蔵盆の夜だ。こんなにも深く胸に沁み入る旅になったのはなぜだろう。

具体的には、京都嵯峨野の愛宕古道街道灯しと、奈良元興寺の万灯供養だ。どちらも千数百年の歴史を持つ場所を舞台に、現代的な感覚で再接近を試みた催しだ。やむにやまれぬ人間の祈りや願い、詠嘆や諦め、生と死が古層をなしている寺院や石仏、街道が、地蔵盆の夜に燈明に照らされている。そこを歩くと、自分自身の内奥の何事かが共振し打ち震える。
愛宕古道の夜祭はBGMなど無く、道の側溝を流れ下る微かな水音と、訪れた人の密やかな話声だけ。元興寺の万灯供養では僧侶たちの朗々たる読経と、嵐のような或いは囁くような筝曲演奏の組み合わせが訪れた者の胸の奥底を打つ。それが地蔵盆の夜の京都・奈良の旅を忘れえぬものにしているのだろう。
その時の写真を観かえすと、体験した光景や胸を満たす高揚感、晩夏の熱気や玉砂利を踏む感覚までよみがえる。

(写真 ↓ 元興寺、地蔵盆の夜)
Re: 個撮時代(「自分の神話をもつこと」補講) - 藤尾
2025/10/17 (Fri) 11:50:37
個人撮影または個別撮影とも。「モデル集団撮影会」等への出席を重ねて主催者から一定の信頼を得ると、モデルと一対一で撮影できるようになる。屋外でもスタジオでも、場所も自由だ。これに情熱を傾けていた時期があった。

ある種、「狂気の時代」だった。

背景に疑似恋愛の要素も多分にあり、生きられなかった自分の過去を生き直すみたいな意味合いもあったかもしれない。
ポートレート用の写真機材は凝りだしたらキリがない。明るい(=高価な)レンズ各種、場合によってはストロボやレフや三脚。ただ漫然と撮るのでなく、物語性や場面設定を考え、事前にロケハンし、スケジュールを合わせ、衣装やメイクを事前打ち合わせし、撮影小物を準備し…、様々な準備を整えて撮影に臨む。撮影後はセレクト、レタッチ、プリント、写真集にしたことさえあった。
何事かに駆り立てられるように、ガツガツと撮った。

狂気の沙汰だ。何かしらの病ゆえの熱狂だったのかもしれない。

しかし、ある時パッタリとモデル撮影(ポートレート撮影)はヤメた。わずか数年間の熱狂だった。内的欲求が充足された…のだろうか?
趣味の対象を撮るとか興味の対象を撮ることは多くの場合数十年と長く続き、撮るのをヤメるに至ることはほぼ無い。モデル撮影はそれらとは異なる欲求によって撮っていたということだろう。無意識領域から、とある欲望が偽装して超自我の検閲を潜り抜けて自我を占拠し、散々大暴れしてモデル個撮に情熱を燃やしたが、それがある意味昇華されたのかもしれない。

しかし、これに類することは人間誰しも経験するはずだ。
長く生きていれば、必ず。
僕の場合、カメラ趣味・撮影趣味がそれにドッキングして緩衝材となり、人生へのダメージを緩和してくれたのだと思う。(その緩衝材がなければ、湧きおこって自我を占拠した欲望は、人生を破滅に導いただろう。あ、世の中いろんな人がいるので念のため付け加えておくと、僕の場合、物語性を持った撮影だったり日常の一場面的な設定の撮影が多く、決してエロ系の撮影ではありませんでしたよw)

Re:リバーサル(ポジ)フィルム(「自分の神話をもつこと」補講) - 藤尾
2025/10/17 (Fri) 11:55:00
フィルムカメラを使っていた時代、ネガフィルムよりも圧倒的にリバーサル(ポジ)フィルムが好きだった。ネガは比較的露出にシビアでない使いやすさや同時プリントの利便性を考えると、用途目的によっては良かったが、DPE店によってプリントの質がバラバラで、特にフィルム全盛時代末期においては、安さを前面に打ち出したサービスが乱立してプリントの質を落とし、色味、露出、トリミングなど酷いプリントが多く、大げさでも何でもなく絶望的だった。(デジカメが出現すると一気にフィルムを駆逐してしまったのは、こんな同時プリントの質の低下も遠因だったはずだ)

他方、ポジフィルムは一発勝負だ。撮影時のカメラの設定がフィルムにシビアに露光され、何の介在も無くそれがそのままの形で定着され、それで完結する。(質の悪い同時プリントの絶望感とは無縁だ。しかしポジは撮影時に厳密な露出設定が要求された)ネガフィルムのように色や明暗が反転していない「見たままの色」がフィルムという「物」に残されているのは感動的だ。反射光でなく透過光で観るからか、透明感や空気感が非常に美しい。撮影現場の光景をそのまま閉じ込めた感じ、か。
その中で厳選したものをダイレクトプリントする。ポジは紙焼きするとコントラスト強めというか硬い印象になるが、それを見越してソフトンフィルターや薄茶系のW4フィルター、場合によってはクロスフィルター系のものをレンズに付けて撮影するなど試行錯誤した。

(写真 ↓ この撮影の前の週、結婚式の撮影でクロスフィルターをレンズに付けていたのを忘れ、そのまま撮ったらこんなキラキラの写真になっちゃいました、という一枚。ちなみにこの時はクロスフィルターの上にさらにソフトンフィルターも付けているフィルター二枚重ね状態なので、晴天ピーカンなのに何となく霧が掛かったようなミルキーな絵になっている。機材はオリンパスOM-2 + タムロンSP28~80。フィルムはフジのリバーサル。商品名忘れた。それにしても空気感が素晴らしい。なぜだろう。粒状感のせいだろうか? こういうのを観ちゃうと「フィルム写真ってスゲエなあ…」と思わずにいられない。)
Re: インクジェット プリント(「自分の神話をもつこと」補講) - 藤尾
2025/10/19 (Sun) 15:55:37
写真の最終出力形態は、スマホやタブレット、PCのモニター画面で鑑賞するというのがほとんどだ。写真の「量・枚数」としては。
マウントしたポジフィルムをライトボックスで観たり、窓の光にかざしてみたり、プロジェクターで投影して楽しむのも格別だ。その場面の光がフィルムに閉じ込められているのが愛おしい。
しかし「一枚の、同じ写真を観る時間」という意味では、プリントの方が圧倒的に長いだろう。眼の滞空時間が長いとも言える。
家には様々に額装された写真プリントが、本棚や飾り棚に置かれている。それは自分の家には欠かせないものだ。

     ※

・フレスコジグレー
・阿波紙ファクトリー びざん
・和紙 ドーサ引き
自宅でインクジェットプリンターを使用して写真プリントを行い、感動した「プリント用紙」のベスト3だ。EPSON PX-5Vでプリントした写真は、積み重ねると膝の高さを超えるが、今手元に残っているのは30枚ほど。その中ではプリント用和紙・阿波紙各種を使用したものが一番多い。次はピクトリコのバライタか。

プリントを仕上げるのは様々な意味で非常に繊細だ。最終出力がモニター鑑賞を前提とした写真レタッチでは、けっこう雑にやっつけても、なんとなく問題なく観れてしまう場合が多いが、プリントの場合はいい加減に絵をいじると不自然さとなって途端に馬脚を現すことになる。プリントの方が、それだけモニターよりも描写能力が高いということだ。
色の出方や暗部描写もモニターとプリントでは異なる。ましてや和紙にプリントするとなると、さらに難しくなる。特に、黒が締まらない。暗部再現能力の幅が狭い。彩度の表現幅が狭い場合もある。しかし、その独特の素材感や柔らかな表現が、魅力になってくるわけだ。
フレスコジグレーも特別な存在だ。漆喰シートにフレスコ画を描くみたいな仕組みだが、豊かな暗部表現と透明感、深みのある発色が素晴らしい。表面に漆喰の炭酸化反応による自然の被膜を形成して、インクの劣化を抑制する。実際、フレームに入れてガラスで保護された他の用紙のプリントよりも、劣化が見られない。それどころか年月を重ねるほど味わい深く見えてくる。
普通の和紙にドーサ引きをして、その箇所だけ滲みにくくするという手法も、事前の想像力が要求されて別次元の面白さがあった。

     ※

EPSONのPX-5Vは修理しながら長年使ったが、ついにメーカー修理対象から外れてしまった。それを機に本格的な写真インクジェットプリントからは足を洗ったが、本当に良い経験をさせてもらった。ただ、インクや用紙のランニングコストはバカにならないものがあった。それにプリンター本体が腰が抜けるほどデカくて重く、修理に出す時や最後に捨てる時は苦労したw

(写真 ↓ この作品をフレスコジグレーでもプリントしたが、細部描写とか色の深みはモニターをはるかに凌ぎ、味わい深さが違う。モニターは透過光だけに明部の描写が美しいが、逆にそれに気をとられすぎる。目も疲れる。)
Re: モノクロフィルム(「自分の神話をもつこと」補講) - 藤尾
2025/10/24 (Fri) 13:26:07
モノクロフィルムの現像には痛い思い出がある。
カメラ系メーカーに勤務していた時、大型カメラ販売店での研修、中小カメラ販売店担当の営業、工場での検査担当、事務屋など幅広く経験することができた。
そんな中で、肝を冷やした事件の一つに白黒フィルム現像失敗譚がある。

当時、輸出向けの製品は、その品質を維持するために「輸出検査協会」という所の検査をパスする必要があった。検査官が毎月工場の検査課に来て、抜き取り検査をする。合格すると、小さな楕円形のPASSEDと記されたシールを製品本体に貼ることができる。例えば一眼レフカメラ用交換レンズの場合、外観や摺動、解像性能などが検査される。解像検査は、無作為に抜き取られたレンズで実際にチャートを撮影し、中心部及び周辺部の解像力をチェックする。検査官が撮影した白黒フィルムを現像し、それを拡大投影して検査するわけだ。
この現像作業は、工場内の暗室で行う。その日は、いつも現像を担当していた人が多忙で、僕にお鉢が回ってきた。暗室作業は久しぶりだ。暗室は検査課だけでなく製品開発や製造技術、製品修理など様々な部署でも使う。室内には空自のT-4練習機や旅客機の白黒プリントが洗濯ばさみで吊るされていた。趣味と実益を兼ねてというところなのだろう。
現像作業を行う。タンクに薬液を入れ、温度調整する。時間を測る。そして現像し終えたネガフィルムを見ると…。
薄い。
しまった…。フィルムに薄っすらと写っているチャートは、やっと見えるという程度だ。温度管理を失敗したか時間を間違えたか?呆然たる思いで立ちすくむ。しかし検査官が待っている。
文字通り泣きそうになりながら、検査官に立ち会っている先輩社員にフィルムを渡すと、
「OKオーケー、大丈夫、読めるよ。気にすんな」
と言ってくれた。
数時間後、検査は無事終了した。さっそく先輩に改めて頭を下げに行った。先輩は許してくれたが、その後暗室作業が僕に回ってくることはなかった。白黒フィルムで撮影するたびに、この失敗を思い出す。

     ※

そんなこともあってか、なんだかずっと白黒フィルムは敬遠ぎみだ。
写真(↓)は、Nikon F3 + NIKKOR50mm F1.4、絞りは解放か1.8ぐらい。フィルムは輸入の正体不明で格安だった物で、妙に粒子が粗い。知らずに買ったが、どうやら、そういう「エモさ(笑)」を狙ったフィルムだったようだ。
描写は、ニッコールレンズ特有のカッチリしたものだ。ピント合焦部の切れ味の鋭さ、石仏の石肌の質感が素晴らしい。ここらへんは、Canonの描写・味付けとは明らかに異なる。

モノクロ写真は、時間を超えた物の本質を写すといわれる。明暗により二次元表現された「物」が、造形を際立たせる。時を経て変化しないものをモノクロで撮影し、今を撮るのはカラーだともいわれる。モノクロは観る者各人がそれぞれに色を想像し、世界が広がるともいわれる。色に惑わされずに世界に没入できるともいわれる。部屋に掛けると家具調度品とバランスが取りやすいともいう。明暗の中間域の美しさを称える者もいれば、暗部を締めたコントラストの高さがもたらす緊張感を好む者もいる。微細な粒子による繊細な描写もあれば、粒子の粗さを際立たせた表現もある。いずれにしても光と影が読めなければ撮れない。
まあ僕は、モノクロ表現に大いに敬意を表するが、色に惑わされて現を抜かす生き方しかできない気がするw
Re:カメラ機材購入(「自分の神話をもつこと」補講) - 藤尾
2025/10/28 (Tue) 18:17:55
カメラやレンズを買っては売り…を、尋常でない数を繰り返してきました。長く持ち続けるものもあれば、数か月で売って、また違う物を買うということもある。その繰り返し。
なぜそんなことを繰り返し続けてしまうのか?
そして、それで得たものが何かあったでしょうか?

     ※

・あの被写体を撮るには、このレンズが必要だ→このレンズの描写は判った。或いはこのレンズで撮るべきものは、充分に撮った。→もうこれは売って次はアレを買おう。
・新しいカメラが出た。今までよりもだいぶ性能が向上しているようだ。今まで以上の撮影体験ができるはずだ。→もっと小さくて、さらに良いカメラボディが出た。→うわ、革新的なカメラが出た、買い替えよう→今度はコレを撮る、そのためには違う機材が必要だ。
・このレンズは、写真史・カメラ史にとって歴史的に重要な意味を持っている。このレンズを使わずしてカメラ・レンズ・写真が語れるか→このレンズの歴史的な意義や、現代においてそれを使うという貴重な体験をした。もう判った。自分が死蔵するのでなく世の多くの人に体験してもらうべきだから、市場に出そう。→次は実用本位のレンズを買おう。

     ※

そんなカメラ趣味的な視点の他に、ほとんど脅迫的にカメラ機材の売り買いを繰り返すということもあったはずです。
・アディクション(依存・固着状態・執着)という面からの理解、アプローチも必要だろう。→人はなにかしら依存対象が必要なものです。
・躁的防衛といえる場合もあるでしょう。→それが自我を支えるアイテムとなって、心の安定を得る。
この世に対峙して生きるとき、「私」は(自我は)寄る辺ない浮草にすぎない。自我は他者との関係によって(自分が属すると自己規定した社会の中での位置づけの幻想によって)構築される。→カメラマニアが、他者に対して上から目線でマウントを取りたがるのは、「カメラ界・写真界という幻想」を生き、そこで自我の安定を図ろうとして、他者に対する自己の優越を捏造するから…です。
カメラ界ではライカ警察やRAW現像警察が筆頭に挙げられるでしょが、これはカメラ趣味界にとどまらず、着物警察、時計警察…など、様々な趣味世界において枚挙にいとまがありません。

     ※

時間や資金、様々なリソースをカメラ機材に投入してきたわけです。金額の事は考えたこともない。それにかけた時間や労力に至っては何かに換算することもできないし、それを考えるのは今さら無意味でしょう。
しかし、間違えなく豊かな時を過ごすことができたと言えそうだ。少なくとも酒やギャンブルに浪費するのとは違い、創造的な体験、訓練を経て上達する喜びを積むことができた。
そして何より、カメラ・レンズが「どこかへ連れて行ってくれる…」という誘因の役割を果たしてくれた。様々な世界に目を見開き、細部を見つめ、外界との接点を広げてくれた。社会との接続という意味で、カメラ機材は大きな役割を果たしてくれました。

(↓ カールツァイス・パンカラー50mm f1.8 ゼブラ鏡筒。赤と青が内側から発光するかのような特徴的な描写をする、魅力的なレンズでした。ピントの山もしっかりしていて自然な立体感が素晴らしかった。線も細い。こういうレンズに出会ってしまうと、解像感やコントラストばかりを追い求める、高性能だけれど味気ない現代のレンズが急に色あせて見えてしまう…)
Re: OEMとターゲット顧客(「自分の神話をもつこと」補講) - 藤尾
2025/10/29 (Wed) 15:01:34
Leica D-Lux8というコンデジを一年間使って手放した。とても良いカメラで使い続けたかったのだが、気分的に断捨離の嵐が吹き荒れたことがあり、その流れで売ってしまった。今思うとバカなことをしたものだと思うのだが、その時はそういう気分だったのだ。

ところがしばらくして、どうしても日常使いのコンデジが欲しくなり、いろいろ物色しているとパナソニックのLX100M2が良さそうなので、それを購入した。
ん?何だなんだ…?!
さて、カメラに詳しい方はお気づきでしょう。バカかこいつは、と。
Leica D-Lux8の中身は、パナソニックLX100M2です。Leica向けに「Leica Q3ミニ」のような外観やインターフェイスに寄せてちょっと作り直して、Leicaの赤バッチを付けて倍の値付けをして売っているのがD-Lux8というのが実情です。

     ※

さて、D-Lux8を長く使った後でLX100M2を使った感想ですが…LX100M2の方がカメラとして機能的には全然良い、というのが正直なところです。
ただ、公平を期すために予め言っておくと、D-Lux8は良いカメラです。カワイイ、カッコいい、トップカバーも貼皮も素晴らし、カメラ側のインターフェイスもLeicaFOTOSを含めた使い勝手が良い、各種フィルムモードも落ち着きがあって良い。良いカメラです。

でも、LX100M2は実用するカメラとしては、D-Lux8よりも数倍良いカメラです。

一言で言うと、D-Lux8はLX100M2の劣化版、ダウングレード版でしかない。LX100M2の様々な優れた撮影機能を削って、シンプルな撮影に特化したバージョンがD-Lux8ということなのでしょう。
外観としては、LX100M2はボタンやダイヤルを多く装備し、様々な機能をそこに割り当てられるようになっている。でもD-Lux8では多くのボタンやダイヤルを廃し、その代わりシンプルな操作系にしてQ3の外観に寄せた。純粋に写真を撮るという事に特化・集中したボディデザインであるともいえる。実際使っていて何の不自由もない。しかしLX100M2の多機能をフルに縦横に使いこなそうとすると、数多く実装されたボタンやダイヤルが有効に機能し、モノを言う。

色味に関しては、実用上、LX100M2では絵作りの多くのパラメーターを調整の上で使ってしまうので、あまり比較できないのだが、全体的にLX100M2の方が活発なというか派手なというかデコラティブな絵作りだと感じる。僕はLX100M2では、デフォルトの「ノーマル」では絵作りがシーンによってはシツコイと感じることが多いので、より穏やかな描写の「ナチュラル」を選択している。D-Lux8では、デフォルトで充分OKだと感じた。

ここまでは、Leicaとパナソニックの、コンデジに対する「コンセプトの違い」ということで、両者引き分けだ。

     ※

ところが、機能を詳細に見てゆくとLX100M2の圧勝だ。
・LX100M2の、4Kフォトを利用して撮影後にピント位置を変えられる機能は意外と使える。スマホカメラのポートレートモードで撮影後にピント位置を変えられる機能と一緒だが、これの出来がなかなか良い。
・しかし何といってもLX100M2はカメラ内RAW現像ができるのが大きい。しかも調整できる項目が多い。これにより、撮影後フィルムモードや明暗部微調整やコントラスト等などを調整して、このカメラのベストなセッティング、各シーンごとの最良のセッティングを見極め、詰めてゆくことができる。
D-Lux8の場合、スマホのLeicaFOTOSでフィルムモードが選択でき、それに代わるものと言えなくもないが、調整できる項目はほぼ無い。それに、カメラ内で完結し、カメラ自体の撮影特性・絵作りを調整できるものではない。カメラ内RAW現像とは別物であり代替えにはならない。
・さらに、D-Lux8ではステップズーム機能が削られている。これはかなり痛い。LX100M2のステップズーム+ズーム位置メモリー機能の組み合わせは、実に実用的で、なぜD-Lux8では削られたのか謎だ。単焦点こそがLeica、というメッセージなのだろうか?
・さらに問題なのは、機動がLX100M2の方が早い。起動時や電源OFF時、D-Lux8は明らかににモタつく。特に電源OFF時のレンズ格納、背面モニター終了の動作が不安定に長いことがしばしばある。実に不思議だ。LX100M2の様々な機能を削ったのだから、むしろ機動が速くなると思うところが、逆に不安定に遅い。Leicaのデジタル化されたMシリーズやQシリーズは、カメラの機動が安定するには、カメラのソフトウェアのバージョンを重ねて、発売から2年ほど経ってからやっと完成する…などとよく言われるが、D-Lux8のトロさもそれと同類の症状なのだろうか?実に不思議だ。

     ※

じゃあ、D-Lux8はLX100M2と比べてダメなのか?というと、全くそんなことはない。
D-Lux8の方がカッコいいし、質感が全然上だ。LX100M2がチープな外観かというと決してそんな事は無いのだが、両者を比べると雲泥の差がある。トップカバーの丸みや角の立ち方、素材感や塗装の質感、指標数字の気品、貼皮の高級感、ボタンやダイヤルの少なさと形の秀逸さ、落ち着きのある描写…。LX100M2とは目指しているもの、視点の高さが全然違うのよ。D-Lux8には「文化の香りや機能美」さえ感じるけれど、LX100M2から感じるのは工業製品としての「多機能さ」だけ。
これねえ…、この違いは大きいですよ。カメラ内RAW現像だのなんだかんだガタガタ言ったけれど、D-Lux8はそういうカメラじゃあないわけだ。勝負している土俵が違うんだ。対象にしている顧客、ターゲットが違うんだ。D-Lux8の落ち着いた描写やシンプルで美しい外観の意味を理解し、そこに意義を見出す人のためのカメラなんだ。
だから、D-Lux8とLX100M2を比較することは、そもそも間違えなんだ。Leicaとパナソニックの、カメラという物に対する姿勢やコンセプトの違いが製品に現れているんだ。
クーデルカ(「自分の神話をもつこと」緊急補講) - 藤尾
2025/10/04 (Sat) 18:49:05
写真をジャンル分けすると、報道、ファッション、コマーシャル…とそれこそ無数の分野があるだろう。違う切り口でみても、ストリートスナップショット、鉄道、飛行機、星空、鳥…と、これまた様々だ。
そんななかで、「現代写真」というのがある。これは「現代アート」と同様、何か趣味の対象を写すのとは違い、かといって美しさを追求するのでもなく、社会との接続(社会問題へのアプローチ)として撮られる写真ということになる。そんなわけで、ただぼんやりと写真を観ただけでは何だかさっぱりわからない。ステートメントを読んでやっと、ああこれはその問題に関しての写真(例えば、環境破壊、社会的格差、LGBT、高齢化…) なのか…と判る。
もちろん、そんなことをしている人は少数派だ。多くは花の写真とか風景とかいった美しい写真とか、趣味の分野の写真を撮っているわけで、それはそれで当然OKなのだが、現代アートという切り口からすると、それらは鼻もひっかけられない…ということになる。
なるほど…と思う一方で、なんだかモヤモヤと面白くない気分がわだかまる(笑)

     ※

ジョセフ・クーデルカの写真で、ビルの窓から街並みを見下ろし、手前に腕時計をはめた腕が写っている写真がある。「プラハ1968」だ。チェコスロバキアに突如ソ連・ワルシャワ機構軍の戦車が侵攻してきて、民主的な社会は終わりを告げ、昨日まで賑わっていた街並みが閑散としている…という場面の写真だ。(写真 ↓ 左)
さて、2025年の日本、今日、日本の民主主義は終わりへの一歩を踏み出した…というのが(写真 ↓ 右)だ。
映画「ジョーカー」二作品。(「自分の神話をもつこと」補講) - 藤尾
2025/09/27 (Sat) 21:09:38
クリストファー・ノーランの「バットマン」シリーズを打ち震えて鑑賞した次に観たホアキン・フェニックスの「ジョーカー」は、これまた面白かった。
どうにも逃げ場のない厳しい境遇と、母親由来の身動きの取れない超自我に挟まれた主人公の自我は、ついに爆発して破壊的殺人者「ジョーカー」が爆誕する! ジョーカーの出現は、様々な不満や不適応を抱えて何事かに復讐したいと心の奥で思っている者たちの呪いに火をつけ、多くの者がジョーカーのコスチュームを真似て街で暴動を繰り返す。ジョーカーは彼らのルサンチマンの投影であり怒りの代弁者であるとみなされる。弱者を見下し踏みつけにする連中に鉄槌を下すジョーカーは、抑圧された反発を解放する象徴的な存在になった。
ジョーカーもまた、当初は個人のやむにやまれぬ衝動からの行動だったが、暴動を見てほくそ笑む…。意図せずに偶発的に、ジョーカーは祭り上げられた形になってしまった。

     ※

「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ(二人狂い)」はその続編にあたり、ジョーカーが逮捕され裁判を受けるという話だ。
収監され裁判が進む中で、ジョーカーは自らの心の動きをなぞり、自分の母親も殺したことも自白する。
外見的には共依存のようにして生きてきた母親と主人公ハッピー。しかし主人公の超自我に巣食い、呪いをかけ続けた母親。それに気づいて母親を殺した。それによって、主人公は自分を抑圧し続けた「ハッピー」という通称を葬り去ることができた。
その反動として、内的に抑圧されていた復讐・破壊欲求が急速に肥大し「ジョーカー」となって表出した。
しかし法廷で陪審員を前にして母殺害を告解するかのように告白することによって、それも成仏してしぼんでいった。最後は結局、当初のただただ小心で心穏やかな心理に還ってゆく。そもそもジョーカーとは個人的な物語でしかなかった。それが終息しただけだ。
それは、ジョーカーをカリスマ視していた集団を幻滅させるが、彼はやっとジョーカーとしての幻影から離れて自分自身に戻ることができ、ある意味で平安を取り戻す。


平凡で小心なコメディアンである本人の自我の一部を、いつの間にか占拠したジョーカーとしてのペルソナ。映画では、ジョーカーの熱烈なシンパである謎の女が登場し、裁判を伴走してゆく。それ(謎の女)は主人公の内に出現したジョーカーの幻影の一部であり(或いは主人公の無意識領域から湧き出した「ジョーカー」という影の本体)、ジョーカーとしてのペルソナの消失と同時に、女も消え去ってゆく。
ジョーカーの弁護士は、二重人格であるという方向で裁判をすすめようとするが、ジョーカーは拒否する。そりゃそうだろう。二重人格の要件には当てはまらない。むしろ、この程度の(ジョーカー的なモノによる)自我の占拠は、誰しも経験する類の内容だろう。
彼の中の個人的なジョーカーは、彼の中ではれっきとした理由のある連続した人格に外ならない。

     ※

「ジョーカー」も謎の女も、主人公ハッピーの(分析心理学的な意味での)影・Shadowと観るのが正解だろう。先ほどはジョーカーを「ペルソナ」と表現したが、やはり「影」だろう。ペルソナの反対概念が影だからだ。
(映画冒頭の短編アニメが、まさにジョーカーと影との主導権争いを画いている。)

さらに少し大きな目で見ると、主人公ハッピー個人の影であるはずの「ジョーカー」像が、いつの間にか大衆の偶像となってしまった(主人公ハッピーから離れて行き、勝手に増殖してしまった)。ハッピーはそんな「ジョーカー」像を自らに取り戻し、自らそれ(ジョーカーという影あるいは集団幻想)を法廷の場を借りて葬り去った…と読んでも面白かろう。

     ※

このストーリーの組み立てを観ていて、少々大げさだが、まるで近代思想史をたどるかのように感じた。実存主義→構造主義→脱構造主義→新実存主義。個人の社会へのコミット→でもそれは結局、社会構造の関係性ありきでしかない→ジョーカーという幻想を覚めて見れば、実は問題のありかは個々人のものだと気づく→それぞれの意味の場においてのみ世界は存在する。唯一の世界などない、結局多様性にかえる…。

     ※

この映画(続編)は、世間では大不評だった。大ヒットした前作「ジョーカー」を熱烈に支持した者の心理からすれば、ジョーカーがしぼんで消えてしまうという最も観たくない展開だったからだ。
2019年に第一作の「ジョーカー」は上映されたが、その実社会への影響はあまりにも大きく(日本でも模倣犯が出た)、ジョーカーは不遇をかこつ者の代弁者を超えて、ある種のヒーローにさえなってしまった。それを鎮火させるためにも、2024年に続編「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」を作らざるを得なかったのではないか?と邪推する。
しかし、映画(続編)は観客の魂を回収することはなかった…。「ジョーカー」は個人的な物語であり、それは終息したと宣言されてしまった。そして悪いことに現実は相変わらず過酷なままだ。個人的にも社会的にも。そして、自分が見えている周囲が世界であり、不遇への反発を投影する対象の熱狂が冷めれば、落胆しかない。なんだか罪な映画を作ったものだとも感じる。観客はカタルシスを望んでいたのに。
凝った脚本の非常に面白い映画だったが、二度は観たくない。

映画の最後で、主人公は監獄で囚人に刺し殺されるが、ヤッた男が返り血で自分の口にピエロのメイクをする(或いは凶器のナイフで自分の口を左右に切り開く)。主人公が葬ったはずの狂気やルサンチマンは、しかし決して消えるわけではない…という恐ろしいというか後味の悪い終わり方をする。
あ〜あ、観客は(ダークな味わいでもいいから)カタルシスを望んでいたのに。

     ※

しかしまあ、現実って、こんなもんっすよね…。
いっときの心的解放感よりも、現実の不幸を自分自身の内に位置づけて、それでも生きてゆくしかない。少しずつ自己と社会の関係を調整して、自分と社会を少しずつ変えてゆくしかない。
過去へは戻れないが過去の改編は可能だ。現実理解は視点の持ちようでいかようにも変更できる。まあ、それが希望ですよね。人間は自分を生きる勇気を持てば、案外強いもんだ。
「自分」の森を駆け抜けて私に出会う(「自分の神話をもつこと」補講) - 藤尾
2025/09/17 (Wed) 11:37:59
その時々、いろんな「自分」を生きてきましたが、それは振り返ってそう思うだけ…でしょう。
その時を生きている最中は、自分を客観視する事などできません。
今思い出すと、バカな自分、ハラハラさせられる自分、「私」に囚われて他者を顧みる事の出来なかった自分、よくやったと褒めてあげたい自分…など、様々な自分がいた事に我ながら驚かされます。それら全てが自分であり、その積み重ねが今の私のはずです。
なのに、反省も無ければ学ぶことも無かったかのように、また同じ愚行を繰り返す自分がいたりします。
それでも、今日も日が暮れてゆきます。人は、何十世代、何百世代と、そんなふうに生きて、消えて行ったのでしょうか?
成り行きだけで生きてきたわけではないけれど、全て自分の意思で生きてきたわけでもなさそうです。あとは、せめて「自分自身の時間を、相手に惜しみなく捧げる」という時間を少しでも多くもてればいいかな、と思ったりします。
Re: 「自分」の森を駆け抜けて私に出会う(1) - 藤尾
2025/09/17 (Wed) 11:40:12
過去へは戻れないが、過去は変更可能だ。
Re: 「自分」の森を駆け抜けて私に出会う(2) - 藤尾
2025/09/17 (Wed) 11:42:01
終わりに向かっていようと、それを忘れて生きている。
Re: 「自分」の森を駆け抜けて私に出会う(3) - 藤尾
2025/09/17 (Wed) 11:45:54
思わぬところで、光に出会う。
Re: 「自分」の森を駆け抜けて私に出会う(4) - 藤尾
2025/09/17 (Wed) 11:47:12
全て飲み込んで輝いている。
Re: 「自分」の森を駆け抜けて私に出会う(5) - 藤尾
2025/09/17 (Wed) 11:49:41
数十世代を凝縮して立つ。仲間入りが近い。
Re: 「自分」の森を駆け抜けて私に出会う(6) - 藤尾
2025/09/17 (Wed) 11:51:43
三百年ひなたぼこして、みんな忘れた。私も忘れ去られてゆくだけ。
Re: 「自分」の森を駆け抜けて私に出会う(7) - 藤尾
2025/09/17 (Wed) 11:53:14
情けない自分を噛みしめ味わい抱きしめる。
Re: 「自分」の森を駆け抜けて私に出会う(8) - 藤尾
2025/09/17 (Wed) 11:54:51
相手に惜しみなく自分の時間を捧げたか?悔恨しかない。
Re: 「自分」の森を駆け抜けて私に出会う(9) - 藤尾
2025/09/17 (Wed) 11:56:42
日常のドブ川が居場所。しかしいつか清流に還ってゆく。
Re: 「自分」の森を駆け抜けて私に出会う(10) - 藤尾
2025/09/17 (Wed) 11:58:34
水溜りが空を映している。少し角度を変えると、違う景色が映る。
Re: 「自分」の森を駆け抜けて私に出会う(11) - 藤尾
2025/09/17 (Wed) 12:00:33
なんて多くの人が同じ時を生きてるんだ。でも皆それぞれの違う世界を生きている。
Re: 「自分」の森を駆け抜けて私に出会う(12) - 藤尾
2025/09/17 (Wed) 12:02:02
成り行きで今日を終える。それも良し。
Re: 「自分」の森を駆け抜けて私に出会う - 藤尾
2025/09/17 (Wed) 22:42:47
「今、ここ」を生きろ。
Re: 「自分」の森を駆け抜けて私に出会う(「自分の神話をもつこと」補講) - マリオ
2025/09/19 (Fri) 01:03:33
僕も全く同様「恥の多い人生を過ごしてきました」とココに(読む人はも然程いまいて≒安心)懺悔します。そして、未熟ゆえ、ご迷惑・不快な思いをさせた先達には、合わす顔がないので、恐らく、あの世での再会も辞退いたします。
今月は、小生の誕生月で両親のそれぞれ命日で、まぁ、当家にとっては聖なる一ヶ月だ。
Re: 「自分」の森を駆け抜けて私に出会う(「自分の神話をもつこと」補講) - 藤尾
2025/09/19 (Fri) 14:46:18
「あの世での再会も辞退いたします」
www…、な~に、みんな赦してくれますよ。


今思い返すと、あの頃の自分は何かに操られていたんじゃあないか…とか、何かに取り憑かれていたのでは…思うことがある。あの熱狂は、何かの病だったのか?と思うこともある。
・でも、それってみんな無意識領域から湧きおこる欲望・情動によって突き動かされていたわけで。意識できる「自分」など、多くの場合、後追いで理由付けられた虚像でしかない。
・或いは、外界からの影響も多分にあるだろう。時代の雰囲気とか、流行とか、周囲に対して反発してイキってみた…とか。
・上記のどっちの場合であるにせよ、行動決定を大きく左右するのは、その時(その直前に)どんな気分に支配されていたか…だろう。何かの原因で怒っていたとか、ハッピーだったとか。
・さらに、どんな立場だったかも行動に影響するだろう。支配的な立場、上位にいたとか、或いはその逆だったとか。

その時、相手は(他者は)自分をどう見ていたかは、まず分からない。それを想像したとしても、大抵間違っているだろう。
それでも人は社会を生きる。自我の構成上、そうせざるを得ない。
しかし、まあ、アレだ。自我の安定のために何に依存・依拠しているか…どこに比重を置いているかは、人それぞれだ。

どうあれ、他者に何かしら迷惑をかけながら生きてゆかざるを得ない。だからというワケでもないが、せめてそれに少しは気づいて、気づいたら謝る。或いは感謝する。直接相手に謝れなければ(感謝の意を表明できなければ)、自分の中の他者に謝って(感謝して)、そしてその気持ちを味わって、抱きしめる。
そして次に、他者に自分の時間を惜しみなく捧げる、という時間を少しでも持てたらな、と思うわけだ。(これ、広義に考えるとけっこういろいろある)

まあ、今はカイシャ組織から離れ、様々な利害から自由になったから、こんな悠長で理想家めいたことばかり言えるのだがwww
折々の石仏2020~2023(「自分の神話をもつこと」補講) - 藤尾
2025/09/16 (Tue) 14:15:54
なんでもない写真を撮る。毎日、なんでもない場所のなんでもない写真を撮る。
目の前の道や塀や草花、空の、なんでもない写真を撮る。

この世を寿ぐ…。目の前の風景や事物を、見えるままに写し取る。この世の見納めという思いが、どこかにあるのだろうか?

何かに反応して、何かを感じて、シャッターは押されるはずだ。
同時に、その裏にひそむ何らかの思いが、あるはずだ。かつてそれは、他者に見せるためであった。コンテストに応募する、web上に公表して他者からの評価を得る。賞賛を得る、自己評価・セルフイメージを高める。自我を支えるアイテムの一つとして、それは機能していた。

しかし、今は…。誰かに何かを伝えようとも思わないし、他者との比較によって自己の優越を得ようとする企ても、ほぼ無くなった。と、思う。

     ※

そんな事を思っているとき、藤原新也の「日本浄土」を読んでいて、興味深い文章に出会った。
「祝島に心を捨てる」の章で、画家の松田正平が紹介される。
「松田正平の絵は、明るくも暗くもない。明るい暗いは人の心象によるものであり風景事物が明るい暗いの心象を宿しているのではない。つまり風景は明るくも暗くもないのだ。そうすると、明るくも暗くもない松田正平の絵は、目の前の風景のように「心を捨てている」ということになる。…松田正平という画家は己という心を捨て、目の前の犬や花や魚や家や島や雲そのものになろうとしているのではないか。」


現前のもの、そのものになろうとしているかのように。全て等価であることを前提として、自身がその場面の一部になることによって。
撮っているのは、自分自身のための写真である。
今は、誰かに何かを伝えるために、ではない。自分自身の反応…でしかない。自分自身に向けた写真撮影である…気がしている。

     ※

北山修の「劇的な精神分析入門」で、北山が日常生活の中から美しい景色を選んだ「福岡市東区九景」というのが紹介される。白黒の、なんという事は無い景色の写真だが、静かな味わい深さがジワジワと感じさせられる写真だ。
それは、いわば地元の、内輪の感動しか呼ばないものかもしれないけれど、寺山にとっては良い景色というものだ。しかし、そんな
★「他者に伝わらない感動は、不要なモノである…というわけがない。」
(そして、多くの「個人的」感動は、報告されないまま消えてゆく…)

「日本浄土」の藤原新也の写真や文章もまた、特別なモノが写されたり描かれたりしているわけではないが、この世を感じる、この世を愛でる…この世界を寿ぐ…という静かな感慨に胸がひたされる思いがする。

     ※

この頃自分は、そんなふうな撮影行為をしているのかもしれないな、と感じる。
Re: 折々の石仏2020~2023(1) - 藤尾
2025/09/16 (Tue) 14:27:55
病院で結果を聞いた帰り道、地蔵がうつむいて立っていた。
地蔵は、僕の諦念の何割かを引き受けて飲み込んでくれた。
「地蔵さん、大丈夫っすよ。ただ、長年住んだこの世から別れると思うと、ちょっと寂しいだけで…」
地蔵は、私を映して静かに目を伏せて立っていた。
Re: 折々の石仏2020~2023(2) - 藤尾
2025/09/16 (Tue) 14:28:59
北新宿、淀橋咳止地蔵。
江戸・宝永年間の地蔵だが、昭和期の道路拡張や都市再開発で転々と居を変え、やっと高層ビル群を見上げるこの地に落ち着いた。
コロナの流行下、「咳止め」という地蔵の名にひかれてか、時折、老夫婦や若者が手を合わせてゆく。
地蔵の横に自転車を停めた老人が、お堂の裏から箒を出して掃除を始めた。花を活け水を打つと、最後に老人は、地蔵にマスクを掛けた。
Re: 折々の石仏2020~2023(3) - 藤尾
2025/09/16 (Tue) 14:30:16
西新宿、淀橋庚申堂。
ほの暗い住宅街の一角が、赤い光に照らされている。
大きな赤い提灯の掛かった庚申堂の奥に、地蔵や庚申塔が並んでいた。闇溜りに、うっすらと赤く浮かび上がる石仏を、小さなカメラで撮る。1/2.3インチの極小撮像素子が描くノイズまみれの荒っぽい画像が、三百年間の時代の積層を写す。
大通りに戻って食事をしようとしたら、牛丼屋もハンバーガーチェーンも店内飲食中止で、テイクアウトのみの営業だ…。コロナによる営業自粛で、外食もままならない。頭の中に少し残っていたさっきの静けさが一気に吹き飛び、現実のコロナ騒動モードに戻った。
Re: 折々の石仏2020~2023(4) - 藤尾
2025/09/16 (Tue) 14:32:20
一面の枯野かと思っていたら、しめ縄とミカンが。
Re: 折々の石仏2020~2023(5) - 藤尾
2025/09/16 (Tue) 14:37:14
今年も桜を見ることができた。
Re: 折々の石仏2020~2023(6) - 藤尾
2025/09/16 (Tue) 14:38:37
肝臓を休めるための薬の中休みで、副作用から解放された。思い切って遠出をしてみたら、桃源郷で地蔵たちが待っていてくれた。
Re: 折々の石仏2020~2023(7) - 藤尾
2025/09/16 (Tue) 14:39:52
田植えが始まっていた。マスクを外してよい場面が多くなってきた。いろんな匂いに包まれ、世界が広がったかのよう。
Re: 折々の石仏2020~2023(8) - 藤尾
2025/09/16 (Tue) 14:41:18
赤い縮緬状の花が満開だ。この石仏の隣の木は、百日紅だったのか…。今までも見ていたはずなのに、気づかずにいた。
Re: 折々の石仏2020~2023(9) - 藤尾
2025/09/16 (Tue) 14:42:30
いつもと違う病院の帰り道、気配にひかれて道を入ると、地蔵が立っていた。
なんという鄙びて素朴な姿。長年の風雨にさらされて角が取れた相貌は、無駄な表情が削ぎ落とされて、人のナマの心の奥底が滲み出しているかのようだ。石仏は、三百年前の人が秘めた祈りや願いの波長を、私に伝える。
地蔵は、その前に立つ者の心を映す装置として機能する。苦痛のない最後と、残される者たちの平安だけが願いだ。「おい、地蔵。ショボくれた顔するなよ。私、そんなに情けない顔をしてますか?」
A氏の風景(「自分の神話をもつこと」補講) - 藤尾
2025/09/12 (Fri) 14:27:03
水道橋労働基準監督署からカイシャに呼び出しがかかった。
イヤな予感しかない。うちのカイシャは渋谷労基の管轄だ。水道橋労基は、労使問題の調停をする東京都労働局がある…。従業員が何事か垂れ込んだか、訴えたかということだろうか?
役職として、僕がカイシャの矢面に立って調停に臨まなければならない。久々に胃が痛む。

     ※

初老の経験豊富そうな男性二名が出してきた名刺には、やはり労使問題調停官とあった。
「御社の元従業員の方から、退職金不払いに関する訴えがありました」
と言う。絶対におかしい。退職金実務は、僕が社内の退職金規程に基づいて厳格に処理している。決して従業員が不利になるような事はしていないという自信がある。
「差支えなければ、誰からの申し立てでしょうか?」
「本人が名前を出してかまわないというのでお答えします。A氏です」
「A氏は当社の役員でした。先月退任したばかりです。A氏は三年前に定年で従業員を一旦退職し、その際社内の規程に基づき退職金は支払い済みです。その後三年間、実務を兼務する役員として務めました。でも当社には、どんな役員であれ退任慰労金を支払う規定はありません。仮に払うとしても個別の起案によります。A氏に関しては、それはありませんでした。」
「A氏は御社の役員退職金規定の写しを持参し、それを根拠に支払いを求めています」
なるほど。その規程とやらの文末には、会社の住所と代表取締役のハンコが押されている…。

カイシャに持ち帰り顛末を社長に報告すると、社長は
「ああ…こんなのもあった気がする」
と言う。おかしい。規程集の原本や改訂の履歴をひっくり返していると…、あった。
「やられた、負けだ」
と思ったがよくよく見ると文末に会社の住所と代表取締役の社判は押してあるが、角判も丸印も押してない。つまりこれは案として作られただけで、承認されていないただの雛形でしかない。会社規程改訂に関する届け出や役員会議事録を探しても、「役員退職金規定」なるものは、当社には存在しないことが確認できた。

翌週、東京都労働局に赴き、A氏が証拠として提示した規程とやらは、未承認のものでると訴えた。調停官は、A氏に話してみるということだった。
結局この話は、一旦はカイシャ側の勝利で終わった。

…ところが、その翌週、調停官いわく
「御社の社長が、口頭で〇〇万円を役員退任時に払うとA氏に言ったそうです」
うわあ…。帰社して社長を問い詰めると
「そういうことも、あったかもしれない」
と言う。ダメだ。
数日後再度役所に赴きその話をすると
「ここはどうでしょう、A氏が未承認の規程を基に算出した額は論外として、社長さんがおっしゃったとA氏が主張する満額を払わなくとも、ある程度の額をA氏に払うということで納めませんか?」
なんてスピーディーで良い解決案なんだろう。でも僕としては面白くないので、
「分割払いにさせてください」
ということで、この件は決着した。小賢しい細工を仕掛けてきたA氏も、A氏にいい顔をしようとして無責任な発言を軽々しくして混乱を招いた社長も、どっちも〇ね!と思った。

     ※

つまらない策を弄するというのは、いかにもA氏らしい。彼はバイヤーであったがB to Cの小商いに飽き足らず、B to Bのコンサルになることを夢見ていて、当社から離れてからそれを実現した実力者だった。
「目的を持つ者は歩速度が速い」
とかいうツマラナイ蘊蓄や格言めいたものが好きだったが、まあ勉強家だった。
人と話すときは決まって
「あなたねえ、こないだの課題、あれでいいと思ってるの?」
と、まず先制パンチを相手に食らわせて、ヒルませる。まず優位に立って、それから用件を話し始めるというイヤなオヤジだった。いちいちそれをやる。まず相手を自分の支配下に置いて、それから話を進める。
「他者は、操るもの」「他者は、何かをさせるもの」という基本姿勢の人だった。
分かりやすいが、厄介な相手だった。
そんなA氏は退職一か月前になると、僕に対して急に猫なで声で接っしてくるようになった。ご機嫌取りさえしてくる。僕が退職諸手続きの実務を行うから、だ(退職諸手続きは手加減次第で進捗に大きな差が出る。再就職先などからの現職紹介や就労状況の確認、職安からの離職理由の確認や書類の細部に関する問い合わせも、僕が答える)。なんてエゲツなくて分かりやす人なんだ…。

     ※

人情家でもあった。でもそれも何らかの効果を期待してだったのではないかと疑わざるをえない。
A氏にとって、他者はどう映っていたんだろう?なんだか殺伐とした風景を思い浮かべてしまう。独裁国家が自国に抱える多民族を弾圧してようやく国家としてのまとまりを維持するような、そんな機制だったんだろうか? ヤラなければヤラれるという厳しい出自を背景に持つがため…だったんだろうか? 組織内で生きるって、そんなもんという割り切りがあったのだろうか?それがイヤでコンサルになって独立したんだろうか?
世の中にはいろんな人がいる。人によって、周囲の景色は全く違って見えるのだろう。そして、他者がどう見えるかも、人それぞれなんだろう。A氏のように、「自分と他者の関係は、支配するか、支配されるかのどっちかしかない」という極端な世界観の場合もあると、勉強になった。
しかし、どうだろう?誰しも自我が忙しい場合、他者をおもんぱかったり、他者に自分の時間を惜しみなく捧げることができなくなるっていうのは、しょっちゅうあるはずだ。何かに夢中になっている時、他者は邪魔でしかない…という感覚・感情。これは誰しも経験するんじゃあないか?

今回は、教訓めいた事を書く気は無かったのだが、つい手癖で書いてしまった。